俺たちが好き勝手でやらねばならぬこと
座右の銘ってやつ、あんたにもあるかい?
俺たちは実に多くの言葉にまみれながら生きているよな。
特にインターネットが生活の一部になってからこっちは、単純にテキストを読むって行為そのものが激増していると思うんだよね。
そんな数多の言葉の中から、俺たちは多くの学びを得ている。
今回はそんな俺たちを通り過ぎていった言葉を拾いながら、俺たちの中に何かが残っているのかを考えてみようと思うんだよ。
あんたにも言葉が残っているか探してみないか?
最も俺の中に残っているセリフ
俺の中に残っている言葉。
その多くがなにかの作品のセリフだったり表現だったりする。
一番、俺の中に大きな影響を与えたセリフってやつはなにか?
そうあんたに問いかけられたら、俺は間違いなくこのセリフを選ぶと思うんだ。
知る人ぞ知る、プレイステーション(無印)のゲーム高機動幻想ガンパレード・マーチの中で出てくるセリフだね。
このゲームを知らないヒトのために簡単に説明しておくとだよ、ゲームのジャンルとしては学園戦闘シミュレーションRPGかな(なんじゃそりゃ)。
1945年、突如現れた幻獣というバケモノのせいで無理やり第二次世界大戦は終結し、それ以降ヒトは天敵である幻獣との戦いを余儀なくされる。
アメリカ大陸が陥落し、ユーラシア大陸からもヒトは追いやられた。
残る土地は日本とアジアの一部のみ。
このゲームはそんな絶望的な状況に追いやられた人類が時間稼ぎのために学徒動員が行われている九州を舞台に描き出される学園生活を体験するゲームだ。
まあ、びっくりするくらいに重い世界設定だよな。
やってみたいというヒトはゲームアーカイブスにもあるみたいだから、ちぇけらっちょ。
で、このゲーム。
その重苦しい設定をよそに、かなり自由度が高い。
プレイステーション5が出ようかって今に至っても、コレほど自由度とゲーム性を両立したゲームを俺は知らない。
自由度だけで行けばマインクラフトのようなサンドボックス型のゲームのほうがあるかもしれないが、ガンパレード・マーチのように濃厚な世界観を味わうようには出来ていないんだよね。
自由度が高いゆえに、人類滅亡の危機にありながら、学園生活を満喫するって選択肢も普通に取れる。
クラスの気になる娘とラブラブな雰囲気を楽しむのも良し。気の合う仲間とつるんでバカをやるも良し。なんなら、クラスメートの靴下をコレクションするも良しだ。
そんな自由気ままな環境の中で、先のセリフが登場するわけだ。
竜はなぜ最強なのか
セリフの中にある竜という存在。
このガンパレード・マーチのゲームの中には竜と呼ばれる最強の幻獣が登場する。
おそらく、このセリフそのものはその竜を意識したセリフではないんだけれども、この言葉を作り上げたであろう芝村一族は敵である「竜」に対してある程度の思いをもって、この言葉を作り上げたんだと思う。
詳しくはゲームを楽しんでもらいたいが、簡単に言うと「ヒーローは孤高」ってことかもしれない。
ヒーローってやつは、誰よりも力を持っていて、その力でみんなを救う。
でも、その力ゆえに、ヒーローは誰とも理解し合うことが出来ない。
誰もそのヒーローと同じ様には出来ないし考えられないから。
対して、ヒーローは実のところ周りのヒトとほとんど変わらない。
ヒーローはほんの少しだけ周りのヒトよりも訓練して、ほんの少しだけ作戦を多く練り、ほんの少しだけ食料調達を頑張る。
ほんの少しだけ様々なことで周りのヒトよりも努力しているだけなんだ。
なぜ、ヒーローはそんなふうに努力を積み重ねるのか?
それが竜が最強である理由と同じってことなんだよね。
つまり「そうでなければならないから」なんだ。
俺たちが「ならねばならぬ」こと
この言葉を振り返るたびに思う。
俺はどうならねばならぬのかってね。
時代の変化がものすごい勢いで俺たちに迫ってきて、俺たちはその時代に翻弄されているだけなのかもしれない。
でも、本来は俺たちは「俺たちのするべきこと」をやれるように自分を常に変えていかなければならないはずだ。
トカゲもすべての不可能を可能にしてでもやらねばならぬことがあったように、俺たちにも「やらねばならぬ」ことがある。
それが俺たちの好き勝手だとしてもだ。
それは俺たちの周りのヒトの笑顔を作ること。
そのために今日、何が出来るのか。
そいつを考えてみることは、悪いことじゃないと思わないか?
なあ、あんたはどう思う?
俺たちは、俺たちの好き勝手で、周りのヒトを笑顔に出来ると思うかい?