自分を褒める言い訳探し
自己肯定感を養わないとね。
そんな言葉をあんたもちょいちょい目にしているんじゃないかな?
Withコロナの時代、俺たちは在宅勤務なんていう今までに経験したことのない働き方を半ば強制的に行う事になっちまっている。
もちろん在宅勤務のいいところはいっぱいあるし、その活用をしていくのが俺たち大人の流儀ってもんだよな。
でもさ、在宅勤務をしていて、ちょっと思ったことがあるんだよ。
褒めてもらっている気がしないんだ。
今回は褒めてもらうタイミングを失ってしまった俺たちが、どうやって自己肯定感を感じることが出来るのかってのを考えてみる回だ。
ちっとばっかし、みんなで幸せになりにいかね?
オッサンも褒めてもらいたい
オッサンにもなって、なに欲しがってるんだってあんたは言うかもしれないけれどさ、基本俺たちヒトは誰かに褒めてもらいたくっていろんなことをするわけじゃんか。
でも在宅勤務になると、まず仕事仲間が近くにいない。
今までだったら、周りにいる仲間があんたの働きっぷりを見てないようで見ていて、その評価が「お疲れ様!」とか言う些細な言葉にあらわれてくれていたんだよな。
ところが、仕事仲間がそばに居ないってことは、純粋に何らかの成果を出していかないと、周りのヒトがあんたのことを感心してくれるってタイミングが無いわけだ。
そうなってくると、今までは成果を出すまでのプロセスでちょいちょいそう言う「お疲れ様!」をもらっていたのが、全くもらえなくなるってことなんだよね。
これは地味に由々しき問題なんだと思うんだよね。
俺やあんたがそういうちょっとした報酬にあやかれないってことは、あんたの仕事仲間もおんなじ憂き目にあっているってことだからな。
そう言う細かい報酬がなければ、俺たちは目標に向かって行くための動機みたいなものを失いかねないよな。
褒めてくれるヒトは別に自分でも良いはず
とは言ってもだよ、現実的に俺たちはWithコロナの時代をこれからも生きていくことになるわけじゃんか。
在宅勤務ってのは、俺たちのようなシステム屋にとって当たり前の働き方になっていくってのは割と普通に想像できる。
だとすれば、俺たちオッサンはその状況にも対応することを考えていく必要があるよな。
とは言え、周りには誰も居ない。
じゃあ、自分で自分を褒めちまえば良くね?って話になってくるよな。
でもさ、俺たちは今まで自分で自分のことを褒めたことってあんまなくね?
「俺ってすげ~!」って言葉に出す効果はあるとは思うけれど、やっぱ恥ずかしいって思っちまうわけよ。シャイオッサンとしては。
#シャイオッサンってなに ?
となると、俺たちに必要なのは俺たちが俺たち自身を褒めていい「言い訳」ってことになるよな。
自分を褒めるサイコーの言い訳
で、そんな状況の中、サイコーの自分を褒めることが出来る言い訳を見つけちまったわけよ。
俺は小谷家族っていうオンラインサロンに入っているんだよね。
このnoteにたどり着いてくれるあんたは、もしか知っているかもしれないけれど、この小谷家族ってのはホームレス小谷さんっていう、サイコーの信用を持っているホームレスさんをみんなで楽しもうってサロンだ。
#あってる ?
で、そのサロンのメンバーさんの中に普段医療に携わっている方がいて、その過酷な環境の中、ついにPCR検査で陽性になってしまった方がいらっしゃったんだよ。
陽性が出ているんだけれど、医療機関の逼迫は入院することを許される状況じゃなくてって自宅療養するしかないらしい。
でも、接触をするわけに行かないから、買い物にもいけない。
話をその方が小谷さんとメンバーさんにしたところ、「じゃあそのこと言ってみんなに助けてもらえば良くね?」って話になったらしい。
なんだ、その神展開。
同じ価値観を持つヒトたちが助け合うとかサイコーじゃんか。
で、サロン内でそのことが共有されて、Amazonの「欲しい物リスト」を共有することで、サロンメンバーなら誰でもその方が欲しているものを寄付できますよ~って流れが出来上がった。
ってか、Amazonこう言う使い方が出来るのか。すげぇな。
これなら、住所とかをSNSで共有することなく、モノを送ってあげることが出来る。ナイスAmazon!
これってさ、クラウドファンディングのモノ版になるよね。
でだよ。
当然俺としては欲しい物リストに入っているモノをソッコーで送るわけだ。
なぜって?
こんなサイコーな自分を褒めてあげられる「言い訳」あるか?
まあ、仕事ってカテゴリで自分を褒められたわけじゃないけれど、それでも俺はサイコーの気分になれたわけさ。
なあ、あんたはどうだい?
あんたにとってサイコーの自己肯定感をゲットできそうかい?
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