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2拠点生活のススメ|第50回|進化なのか、それとも老化なのか!?
自分より若い世代の後輩に、イボンヌさんって、流木いじって、オーディオが趣味なんて、おじいちゃんやん・・・と言われたことがある。
そうか、自分では楽しいからやっているつもりだが、若者から見れば、確かに年寄りくさい趣味に見えるものかもと、妙に納得した。
2拠点生活を始めて、暮らしそのものを楽しめるようになって、自分としては新しい自分を発見したかのような思いがあったのだけれど、これって案外、客観的に見れば、年を取ったからということなのかも知れない。
進化なのか、老化なのか、その両方なのか、なかなかこれは深い問題だ・・・。
健康を考えるのは進化?老化?
健康を真剣に考えるようになったのは、客観的に見ると、ある意味少しずつ健康を失いつつあるからとも言える。健康が当たり前にあるときには、たしかに深く考えたりはしないものだ。
年齢を重ねることで、何かしらの不具合が起こるようにもなってくる。若い頃のように朝まで飲むこともしないし、何かに熱中したからといって徹夜なんてことにもならない。
徹夜なんてすると、リカバーに数日かかってしまう。まあ、経験値の問題なのかも知れないが、先を考えるようになった。
それって、人間としては進化だと思うが、同時にそう考えざるを得ないと言う意味では、明らかな老化。
言い換えれば、老化は進化とも言えるのか。 ホント?
外から内へ
2拠点生活を始めて特に感じるようになったのは、価値観というのは、世の中が作るわけでは無く、あくまで個人が作るということ。
だからニュースを見ていても、首を捻りたくなることが多いし、コロナ対応ひとつとってみても、不謹慎だが笑っちゃうようなことも起きてくるんだと思っている。
「常識」というものが、いかに曖昧なものであるか、世の中の総意といったものも、いろんなリスクヘッジのフィルターを通して出てくるもので、必ずしも個人に当てはまるものでは無いということ。
だんだん、偉い人がどう言ったとか、何が流行っているといったことより、自分はどう感じ、どう思うのかが大切で、ともすれば世の中のルールさえ、どうでもいいと思ってしまうこともある。
これって、ある意味、老害なんだろうか。
今は、自分のココロの中というか、内から何が出てくるのかが一番興味深い。座禅を始めたのもそんな理由なのかも知れない。
自分にとっては進化のようにも思えるが、世に言う頑固ジジイの道を歩き始めているのだろうか。
自然を慈しむ気持ち
徳島で毎日のようにサーフィンをしていると、おのずと自然を肌で感じ、その美しさやありがたみを以前にも増して感じるようになった。
雨が止んで突然日が差し、姿を見せる虹。今まさに崩れようとする波の中を駆け抜けていく魚のシルエット。雄大な夕焼けショー。沸き立つような入道雲。
ひとが作り出すどんなエンターテイメントよりも、感動的だと感じるのは、やはり年を取ったせいなのだろうか。
けれど、一方で若い頃にはできなかった物事の捉え方や価値観に徐々にシフトしていっているとも言える・・・それって、やっぱり進化なのかも。
老化は、進化だ
どんな人間でも年を取るにつれて、自分にとって後悔の少ない決定がどれなのか、判断するための基準が明確になってくる。無駄に悩まなくもなるので、精神的なストレスも減るのではないか。
また、未来に対する希望というよりも、今をどう充実させるかという点に重きを置くようにもなる。若い頃よりは自分の感情を扱うことにも慣れ、精神的に安定しやすくもなっている。
経済面や健康面を考えれば、老化には厳しい現実もたくさんあるけれど、積み上げてきた経験や、磨いて来た感性は、年を重ねてきたからこそ活かされるもの。
人生100年なんて言われる時代。
そういう意味では、肩の力を抜いて人生を楽しめるのは、まだまだこれから。
老化は進化なんて、負け惜しみっぽく聞こえるかも知れないが、そう思って生きていく方が、楽しいことに出会う確率はだんぜんアップするはずだ。