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あの素晴らしい(?)サムハラ神社をもう一度。

 西村賢太の『苦役列車』を再読してみようと思ったのですが、冒頭の数十ページで、謎の苛立ちを覚えています(挨拶)。

 と、いうわけで、不二川です。

 この残暑厳しい中、いかに医療機関の中でのみとは言え、マスクを着けねばならんのは、軽い拷問だと思う今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 今回の記事は、「大阪のサムハラ神社への再訪!」とかいった話です。

前回までのあらすじ

 さて。昨日は、

 「大阪のサムハラ神社へ、もう一回行きたいんだよぉ!」などと書かせて頂きました。

 行きたいと思い、かつ、行ける余裕があるなら、なぜにためらう? って事で、本日、行って参りました。自宅からは、バスと電車で、約1時間15分。片道2時間までなら、僕の中では「近い」判断です。

無敵の方向音痴!

 ただ、最寄り駅である、大阪メトロ中央線の阿波座駅に着いて、出口を出たところで、神社までの道のりが思い出せず、地図アプリを見てもとっさには分からない。方向音痴なめんな?

 しかし、なんとか記憶を呼び起こし、到着。ご存じの方もいらっしゃるかも知れないのですが、サムハラ神社は、(奥の宮も含めて)大変慎ましい構えです。境内に、摂社や末社が、全くありませんからね。本殿と拝殿の他は、手水舎と社務所があるだけです。下手をしなくとも、僕の家がある地域の、氏神様のお社よりも狭い。

 ですから、参拝自体は5分もかかりません。大半の人々(僕を含め)は、本殿の裏でも手を合わせるのですが、それにしたって、遠大な時間がかかるものでもない。逆に、何十分も手を合わせていたなら、後の人の迷惑です。

 あ、後、本殿裏で手を合わせるということ以外に、地元の人がよくする慣例として、鳥居の隣にある、社号の石碑に触れて、感謝を祈ると、よりよいらしいと聞いたので、それもやっておきました。

 参拝を終えてから、社務所で軽くおみくじを引いてみたのですが、吉でした。サムハラ神社のおみくじに「凶」があるのかは、寡聞にして知らないのですが(逆に、広島の厳島神社のそれは、ほとんどが凶だと聞いた事があります)悪くはなかったので、まあ安心。

 それと、神棚にお祀りするために、お神札を頂きました。汎用的なものがなく、いや、あるにはあるのですが、サイズが大きい上に、初穂料が3,000円だったので、厄除けの、1,000円のお神札にしました。

 他の参拝客も、結構途切れなくやってきます。用が済んだのに、ぼんやりしていては、迷惑以外の何でもない。速やかに離脱。

 それはいいのですが、時間はちょうどお昼時。「腹が……減った……」と、某ゴローちゃんのような気持ちだったのですが、ぱっと見渡した限り、コンビニはあっても、飯屋やラーメン屋がない。仕方ないので、阪急塚口駅まで我慢することに。

選択肢の微妙な少なさ

 で。戻ってきたのはいいのですが、またしても困った。マクドはあまりにコスパが悪い。ココイチも、ガッツリ食おうと思ったなら、結構高く付く。ずいぶん昔の話ですが、ココイチができる前には、そこに松屋があったのですが、火災で焼けちゃったんですよね。あのレベルでいいのです。ラーメン屋もあるのですが、結構な行列の出来る店ではある。

 うーん!? と考えた結果、ハタと思い出しました。ほんのちょっと歩きますが、「ぎょうざの満州」があった! なにげに僕氏、散々宣伝では知っていながら、行ったことがない。じゃあってことで、早速向かいました。

 店内に入り、生中、ツマミのザーサイ、ネギしょうゆラーメンと餃子のセットをオーダー。

ビールとザーサイ!
ネギしょうゆラーメン!

 ンマーイ! こういうのでいいんだよ、こういうので!

 程よく腹が膨れたのはいいとして、やや困りました。精神科の受付が始まるのは、15時。しかし、まだ13時半。仕方ねえので、駅北口のホリーズカフェで、ダッチクリームコーヒー(水出しアイスコーヒーの上に、ソフトクリームが乗った奴)をキメることに。

 それでも余った時間は、冷房の効いた、ドラッグストアの地下のベンチで、のへーっと、音楽を聴きながら、座って過ごしました。

おまけ、あるいは、それから

 その後、やっとこさ15時になったので、精神科へ。主治医の先生に、まだ眠れすぎることを訴えると、寝る前のレボトミンが、さらにマイナス5mgとなりました。

 で。精神科を離脱後は、速やかに調剤薬局で薬をもらい、なんだかんだで貯まっていた、楽天キャッシュの「余りの積もった分」と、楽天ポイントがそれなりにあったため、楽天ペイで支払って、実質無料でした。

 その後、もっぱら考えていたのは、今月末締め切りの、「文學界新人賞」に応募する予定の、私小説に関する講評を、昨日の夜、ココナラ経由でもらっていたことでした。

 これを幸いと言っていいのかは微妙なのですが、今までで一番、直せる可能性のある指摘でした。助かります。それに関連して、冒頭で申し上げたように、西村賢太の『苦役列車』を再読してみんとしたのですが、どうにも、謎の苛立ちがわき上がり、(再度読了するのは)多分無理だと思った次第。

 その代わり、出品者さんには、(拙作内で使った)メタ的表現の参考書として、『吾輩ハ猫ニナル』という本を薦めて頂いたので、それをポチりました。最近、思うままの出費をしているので、後が怖いです。

 ただ、この『吾輩ハ猫ニナル』という作品、軽く目を通しただけでも、「不思議」な作品だなと思いました。物語のようで、批評のようで、つかみ所がない。なんでも、「群像新人文学賞」受賞作らしいですが、関西弁で言えば「けったい」なシロモノ。

 まあ、冒頭だけ読んで、既にメタ的表現手法の参考にはなったと思うので、それはそれで収穫ではあります。

 話は戻りますが、とにかく、行きたかった神社へ行けたんですから、そこは、喜ぶべきでしょう。やはり、行きたくなった時が、その時ですよ。それに、一度参拝した神社に、再訪してはならぬという決まりもない。また、こんな機会があったなら、また訪れようと思います。

 さあ、「文學界新人賞」の締め切りまで、猶予はあまりありません。ちょっと、本気を出すことにしますか。

 んじゃまた。

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不二川巴人
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