【心理】運転でイラつく傾向にある人の思考とは?
こんにちは。
自動車ライター/インストラクター/ジャーナリスト/ドラマーの齊藤優太です。
「(運転中)はぁ、イライラする!」…おそらく誰もが一度は経験することではないでしょうか。
こんなことを書き連ねている私も、運転中にイラッとしてしまうことや予想外の動きにビクッとしてしまうことがあります。
そこで今回は、私の独自の分析も含めて、運転中にイラつく傾向にある人の思考を考察します。
思い通りにならないからイラッとする
運転中にイラッとしてしまうのは、おそらく大半が「自分の思いどおりに事が進まないから」だと言えるでしょう。
例えば、日頃利用する自宅付近の道路や幹線道路を運転する場合を考えてみましょう。
運転に慣れている人が、普段から使っている道路をほぼ法定速度ピッタリ(多くの場合は法定速度を超えている人がほとんどですが)で走行しているとき、法定速度以下(法廷速度ぴったりも含みます)で走る車が目の前にいたとします。
すると、普段ならもっとスムーズに走れるのに、前にゆっくり走る車がいるせいで、いつもどおりの走りができず、イライラするのではないでしょうか。
仮に、前の車が法定速度を5km/h下回る速度で走っていたとしても「遅いなぁ」「もっと速度だせるのに」と思う人もいるでしょう。
すると、普段ならほぼ法定速度ピッタリで駆け抜けることができるのに、前に遅い車がいるせいで、自分の思いどおりの走りができず、「いつもなら・・・」や「この前の車のせいで・・・」と前の車に責任を押し付け、「すべての原因は前の車だ!」となり、思いどおりにならないことが怒りに変わります。
おそらく多くの場合は、このような自分勝手な責任転換による怒りがイラつきの原因になっているのではないかと考えられます。
身勝手な責任転換により起こしてしまう行動
身勝手な責任転換によって、怒りやイライラが溜まり、ストレスになったとき、そのストレスをどうにかして発散したいと考えてしまう方も多いでしょう。
ストレスを発散するために起こす行動として、主に次のことが挙げられます。
・車間距離を詰める
・急かす
・早く進むよう左右にズレて前の車を威嚇する
・クラクションを鳴らす
・パッシングをする
などなど
このような運転行動は、「妨害運転」つまり「あおり運転」です。
しかし、このようなイラつきによって妨害運転をしている本人は、煽っているという自覚はありません。なぜなら、「自分の思い描く走り=この道のルール」と思い込んでいるからです。
このような思い込みと身勝手な運転行動の結果、イラつく対象の車を抜くとき、ガンを飛ばしたり、アクセルを踏み込んで思いっきり加速しながら抜いていったりします。
どちらが正しいのか決めるのは客観視したときにわかる
このような話題を出すと必ずと言っていいほど、「遅い車が悪い」vs「ルールを守っているから問題ない」の論争がおきます。
正直、どちらの言い分もわかりますが、どちらの方がその交通状況に合った判断なのかは、ケースバイケースです。そのため、一概に「◯◯が正しい」と断言することはできません。
このような道路・交通の問題の解決のヒントとなるのが、道路交通法をはじめとする法律です。
道路交通法の考え方
道路交通法の目的は次のように定められています。
条文によると、道路の危険を防止するために法律が定められていることがわかります。また、他の交通の安全と円滑を図るために、さまざまな法律が定められていることも合わせて明記されています。
つまり、ルールどおりに走っていれば、基本的に安全で円滑な走りができるということです。
理想と現実はまるで違う
法律では、ルールどおりに走れば円滑で安全な走行ができると明記されているものの、これはあくまでも理想論であり、机上の空論です。
教習所では、第一段階=教習所内の運転は、学んで覚えたルールや扱い方を実際の運転行動に変えることが主となります。
しかし、第二段階=路上教習では、教習原簿の冒頭にもあるとおり「応用走行」となり、実際の交通社会の中で車の運転を学びます。
初めて仮免許を持って路上に出た教習生の多くは、「第一段階と全く違う」「ルールって何なの?」「あれは正解なの?」と多くの「?」が浮かんだまま初路上教習を終えることがほとんどです。
この事例からわかることは、教習所の中で学んだ交通ルールはあくまでも知識のひとつにすぎず、実際の道路では通用しないということです。
本来であれば、「教習所の中で学んだ交通ルール=路上(一般道)でも通用する」でなければなりません。しかし、リアルな交通社会ではイコールにならないのです。
道路も乗り物も変わっているのだから法律も変えなければならないのでは?
道路交通法は、1960年に施工され、度重なる法改正により、現在のルールとなりました。
主な改正内容を見ると、高速道路における規則が整備されたり、一般道路における最高速度が60km/hになったりするなど、より便利に快適に道路を使えるような法改正がされてきたことがわかります。
一方、「◯◯の禁止」「◯◯の厳罰化」「◯◯の追加」「◯◯の義務化」など、道路利用者の行動を制限する法改正も数多く見られます。
このような法改正の内容を見ていると、「これは簡単には覚えられないなぁ」と思ってしまうほどです。また、基本となる法律を変えずに継ぎ足ししてきたために、ルールが細かく、複雑で、わかりにくくなっているように感じます。
最近では、電動キックボードをはじめとした新しいモビリティが普及してきています。さまざまな乗り物が普及したり、乗り物そのものの性能が上がったりしているのに、法律は昔のままというのは、いかがなものでしょうか。あくまでも個人的な感想ですが、法律を昔のまま変えないというのは、進化を妨害しているように思えます。
高速道路の最高速度ひとつとってもわかりますが、いまだに法律上の高速道路の最高速度は100km/h。一部認められている区間だけは120km/hとなっています。
しかし、実際に高速道路を走ると120km/hは当たり前。人によっては150km/hで走っている人もいるのが実情です。
道路の耐久性や国土の狭さ、曲がっている道や坂道が多いなど、さまざまな環境的な問題で最高速度を上げられないといわれるかもしれませんが、現在の道路を造る技術や車の性能などを使えば、今ある環境的な問題は解決できるのではないかと思います。
であれば、法律を変えて、道路を新しくして、より多くの人や物を運べるようにすればよいのではないでしょうか。
また、抜本的な法改正をしてルールを変更すれば、より安全で剛性が高い車や道路が必要となるため、技術力も必然と向上するでしょう。
もし、抜本的な法改正によって最高速度が上がれば、危険意識や危機管理も、自分でするようになるでしょう。
抜本的に法律を変えるということは容易なことではありません。ただ、法律が変われば技術力はさらに向上し、交通教育も大きく変わり、より現実的な学びを得ることができるのではないでしょうか。
最後に・・・
運転でイラつく人の心理についての考察から、根本的な原因を解決するためは法改正が必要だと、広い話題になってしまいましたが、今現在の交通教育と実際の交通社会には大きな差があるのは事実です。
この差を少しずつでも小さくしていかなければ、悲惨な事故や思わぬトラブルを防ぐのは難しいでしょう。
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