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〜ある女の子の被爆体験記7/50~    現代の医師として広島駅で被爆した伯母の記録を。 原爆の3つのエネルギー ②熱線

〜熱線〜

熱線は人を焼きました。原子爆弾ならではの悲惨な威力です。
原子爆弾が爆発する瞬間の火球の中心温度は摂氏250万度を超えます。衝撃波が周囲の空気にぶつかると青白く光った火球として見え、0.2秒後には火球の表面は6000度、直径は310メートルになりました。2秒後には熱線全体の90%が放出されており、多くの人が深い火傷を負いました。この時点で放射線であるガンマ線が大量に放出され大気に反応することで空が紫に見えます。


「なんだ、綺麗だな」


突然現れた火球や変化する空の色に目を奪われた人もいました。これに目を奪われた人たちは、この後、瞬時に避けようもなくやってきた熱線で目や顔に深い火傷を負います。

人々がいた地表の温度は3000-4000度以上になったと推定されます。太陽の表面温度が約6000度で、鉄が溶ける温度が1500度。一瞬でも原爆ドームの銅で作られた屋根は溶けて流れ落ちました。この瞬間的な熱線による火傷が被爆者の20−30%の死因になりました。


一般的なやけどでは、水ぶくれを起こすII度熱傷を体の30% (子供は20%)以上に起こすと命を落とすリスクが高く、皮膚が変色し炭になるようなⅢ度熱傷を体の10% (子どもは5%)以上に起こすと死に至りやすい。この基準以上の広範囲で深い火傷の人は、爆心地には沢山いたのです。

熱線と服


暑い夏真っ盛りの広島と長崎ではみんなが薄着でした。中には服を脱ぎで作業をしている人々もいました。熱線を遮る建物がない屋外で作業をしていた人々の中には、瞬時で皮膚が炭のようになった人も少なくありません。原子爆弾を運んだ飛行機を見上げたり、火球を凝視した人は顔を火傷するだけでなく、失明した人もいました。熱線の強さとその影響は、被爆者に悲惨な外傷を作りました。さらに負傷者の精神的なダメージは言葉では表現しようもありません。
そして、原爆などの放射性物質が関与して生じた火傷は、通常の熱や火で起きた火傷と違い、より症状が重い基準で考える必要です。放射性物質により臓器のうごきも、免疫も低下するからです。また、やけどによって皮膚や粘膜を失うと、簡単に病原菌が体に入りやすく、傷が膿んでしまえば菌は全身をまわり、敗血症で死に至らしめます。ウジ虫がついていることなどは、普通の日常でした。


普通の火傷だけでなく放射線による免疫低下の影響を受けた被爆者にとって、やけどは致命傷です。


やけどの処置


やけどは、一般的に、洗わないでただ傷をふさいで密閉すれば、ほとんど必ず感染を起こし、致命傷を招きやすい。
爆心地で傷を洗うには、放射線で汚染されている水で傷を洗わざるおえません。それにより体内被曝が増えた可能性もあるかもしれません。でも、傷を洗うことで感染症を予防することができることから、このような状況でも割れた水道管を使って傷を洗うことは、決して間違いとはいえないでしょう。

むしろ、感染のリスクを考えると傷を洗うことは必然で、多少の放射線汚染があっても、水道から大量に流れる水で、傷を洗う処置は必要なことだったと考えられます。放射線を含んだ灰などが落下した岸辺を通る川や貯水池の水を飲んだり、傷を洗ったりするより、割れた水道管からの大量に流れる水を使用する方が、まだ放射線の影響が少ないことが推測される。ただし、爆心地の水源確保と水道管の安全性については考察した文献がほとんどなく、今後検討されるべき項目でだとは思います。


一方で、熱線は火事を起こします。3000-4000度の熱は、木で作られた家に着火しました。爆風で倒壊した家々の下敷きになり動けなくなった大勢の人々は、この火によって亡くなられたのです。

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