~ある女の子の被爆体験記38/50~ 現代の医師として広島駅で被爆した伯母の記録を。”原爆解剖データ、43歳男性”
43歳、男性 頭と両腕に裂傷 火傷なし
爆心地から800mほどの下中町の木造2階建ての自宅で被爆した。着衣は、ズボン下だけをはいており、上半身は裸だった。頭と両腕からは出血が多量に出て、両側の下肢前面と背中にかすり傷を数10カ所に負ったが、30分後に倒壊した家屋から這い出た。
3日目、仕事へ出勤したが、微熱があり、全身だるかった。
4日目から13日目まで仕事を休み、14日目から仕事に復帰した。
16日目、西条療養所の藤井所長に会うと、入所をしたほうがよいと勧められ、すぐに入所した。その後、39度の熱が続いた。輸血を連日100ml、ビタミンC、トロンボゲン(出血を止める凝固の力をサポートする薬)の注射を続け、自家血液の注射も1回行った。
21日目、22日目に熱は40度となり、23日目に亡くなられた。
24日目に剖検が行われた。
21日目の血液検査では、ヘモグロビン68%、赤血球数315万、白血球数420と、著明な白血球の減少を認めた。白血球数はその後も250から550と少ないまま、
22日目に625、
23日目170と異常な低値であった。赤血球数は、22日目は252万と著明な貧血状態だった。
病理解剖の所見
左扁桃腺の壊死性扁桃腺炎(潰瘍を伴う扁桃腺炎)、右の扁桃腺は萎縮、組織には形質細胞が多く見られた。咽頭は、潰瘍性咽頭炎がみられる。
高度の声門浮腫
高度の肺水腫
出血(心外膜、腎臓、大腸)
脳膜の浮腫
骨髄はほとんどが脂肪髄(骨髄で血液が作られておらず、脂肪に置き換わっている)で、所々に形質細胞、あるいはリンパ球と赤芽細胞、外側に少量の桿状核の細胞がみられる。少量の巨骨髄芽球(異常な細胞)のできはじめが見られる。
睾丸は、細精管の中は変性と壊死の細胞で満たされ、精子は無い。間細胞の萎縮が強い。
解説:
被爆時、爆風による建物の倒壊で外傷を負ったが、やけどは無かった43歳の男性である。
3日目には勤務へ向かうほど責任感のある男性は、だるさと微熱がおそらくひどくなった。
4日目から2週間自宅療養をしていたが、また仕事へ向かった。記述には無いが、爆心地からの距離が近い、多くの被爆者にも見られていた下痢や嘔吐、あるいは喉の痛みや胸のつかえ感などの症状は少なからずこの男性にもあり、水分や食べ物は十分に取れていなかったのではないかと推察できる。療養所での症状の記載が少ないことから、我慢してあまり語らなかったのかもしれないと想像できる。それでも再び仕事に行った男性だが、体調が悪かったため、西条療養所で、まずは藤井所長へ相談したところ、この男性の病状が重いと感じた所長が入所を強く勧めたのではないだろうか。
16日目の白血球数は420、23日目に170であった。
一般的に、人間が感染症にかからないためには、白血球の中に通常45-70%存在する好中球という種類の白血球が、最低でも500個以上必要である。
つまり、16日目以降、この男性は好中球をほとんど持っておらず、どんな弱い病原体からも体を守る力は全くなかった。
この数値を見た医師は、この男性の余命を感じたはずである。亡くなる数日前からの高熱は、放射線の急性障害による免疫低下のため、敗血症(血流にのって全身に病原菌が回る状態)となって多臓器不全(複数の臓器の機能を失う)をきたしたことなどが推察される。
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