
~ある女の子の被爆体験記50/50~現代の医師として広島駅で被爆した伯母の記録を。”国を超え、被爆者は伝えようと。そして私は”
私たちは、まだ。
市民が声をあげなければ、現代の技術開発は驚くほど急速に進みます。核爆弾は世界に1万4千発以上ある現在、さらに最近では核兵器の小型化が進んでいます。規模を小さく調整して、核ミサイル攻撃をすることを考えている国もあるようです。また、スーツケースの中に核兵器を入れて、放射線被害のテロなどに使われる未来も近いかもしれません。
また、化学兵器や細菌兵器は、人を苦しめて殺したり病気にしたりする兵器です。特に子供たちは、大人よりも体の影響を強く受けます。
私たち市民は、現代の兵器の開発を、止めさせてはいません。
この事実を、当時被曝してなくなられた方々、現在も被爆体験を心を痛めながら伝えている被爆者の方々は、いったいどう感じるでしょうか。
4人の男の子たちは、いったい、この現状を、どのように感じ、私たち市民に何を伝えたいと思っているでしょうか。
国を超える、人間の良心 国を超える、人間の行動
世界には核兵器保有国と保有していない国がある。保有していない国が保有しないようにすることは大変意味がある。しかし、同時に既に保有している国に、核兵器を破棄することを認めさせるためには、大変な忍耐がいることであり、その方法を探ることは大変難しい。
では、人間の心はどうだろうか。核保有国の国民であっても、そうでなくても、被爆者の体験に心を揺りうごかされない人はいない。それほど、核兵器の被害は、ひどい。被爆者の体験に、人間として、良心が痛まない人はいない。
あの4人の男の子たちは、天神町にいた。一人の男の子は天神町に住んでいるのだから、お母さんやお姉さんのもとにいけたはずだ。でも、家が遠くて家族のもとへ帰れない友達を気遣って、”ここに一緒に死ぬまでいよう”と、そこに残ることを選んだのかもしれない。そんな思いやりのある素晴らしい人間だったのだ。
どの国の国民であれ、一人一人は同じ人間であり、皆同じように原爆の体験を聞けば、人としての良心を痛みと感じる。国は関係がない。国が核兵器はいき条約に参加しようがしまいが、私たち人間は、自分の心の自由によって、
”核兵器反対” ”化学兵器反対” ”戦争反対”
という、行動をあらわすことができる。
私は、一人の人間として。
あの日のように、私たちは、自分たちの家族を戦争で傷つけたくはない。子供たちを傷つけたくはない。自分の国の兵隊さんの心を傷つけたくはない。純粋に科学を愛する科学者や、人を助けるために医師になった人を戦争のために働かせ、彼らの心を傷つけたくない。
だから、一人の人間として、戦争に反対する。
だから、一人の人間として、世界とつながる。
だから、一人の人間として、平和を誓う。
(8月6日、広島の原爆の日に。SOKO)