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この子の声を。一枚の写真        ~ある女の子の被爆体験記~医師として、広島駅での伯母の被爆を記録に。 5/50

広島の比治山の救護所で撮影されました。(「被爆者とともに ー続広島原爆医療史ー 財団法人広島原爆障害対策協議会」1969年出典)

幼児は男の子か女の子かも分かりません。

腕は天に向かって伸ばされています。

顔は天を向いています。

両脚は、骨が見えるほど、深い火傷です。

この子は、意識があるから、腕を天に伸ばせているのでしょう。

熱線を直接受けて、大火傷を負い、爆風で飛ばされ、そしてこの写真が取られている瞬間も放射線がこの子の体を蝕んでいます。

お母さんはどこでしょうか、家族はいるのでしょうか。

声を出せないまま、この子は家族を探しているに、違いありません。「お母さん!」と心の中で叫んでいるに違いありません。

心の中で、泣いているに違いありません。

でも声にならないのです。

この子は腕を伸ばし、足を倒れないように保持しています。

必死に姿勢を維持して、何を考えているのでしょうか。

目は見えるのでしょうか。声は出せるのでしょうか。

でも立ち上がる力はありません。お母さんと叫ぶ力はないでしょう。

1945年8月6日午前8時15分、核兵器は、熱線と爆風、放射線で、人々をこのようにしました。多くの子供達が、このこのような状態になりました。

この子の訴えを、私は医師として、人として、耳を傾けずにはおれません。この子は、私たちに、何を伝えているでしょうか。

核兵器は無数に、まだ、地球上にあります。そして、さらに兵器の開発が進んでいます。

ですから私は、この子の小さな声を、世界の人々に届けたいのです。

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