〜ある女の子の被爆体験記10/50~ 現代の医師として広島駅で被爆した伯母の記録を。
広島で見た人
「うわぁ、どうなってるんだ、死体がここにもあそこにも転がっている。これがいつもの広島だなんて。こわい。でも、行かなくちゃだめだ」
とにかく線路をまっすぐたどって、まず、広島に向かおう、ノブコは自分に言い聞かせた。
目の前の鉄の線路は、広島へと長く続いている。
海田市駅のそばには民家が建っていたが、少し進むと家々は傾き、屋根の瓦は落ちていた。更に少し進むと、壁が崩れ、つぶれた家屋、焼け落ちた家々を何軒も何十軒も通り過ぎた。進んでいくほどに、家の形は消えた。
ノブコは脇目も振らず、ただ黙々と線路に沿って歩くようにしようと決めた。
ポタ。ポタポタ。
汗が髪の毛の先からしたたり落ちる。
突然、雨粒がノブコの顔を濡らした。
「雨か。暑いからちょうどいいや」
大きな雨粒を全身であび、少しだけ涼しさを感じたが、ノブコは白いブラウスに不思議な黒いしみが付いていくのを見た。
「雨でしみがつくなんて。ほこりっぽくて、雨が黒いのかな」
黒い雨は、放射性物質を含んだ灰やホコリを雨粒が包んだもの。高濃度の放射線の入った雨を、人々は浴び、中には飲んだ人もいるだろう。原爆の爆発が終わった後、さらに強い外部被曝と、内部被曝をおこす原因となった。
そしてまた、黙々と歩き始めた。
線路の上では、広島方面から海田市駅へとノブコとは反対方面へ向かう大勢の人たちとすれちがった。
真っ黒な顔。
真っ赤な目。
髪の毛が縮れて、ごわごわになっている。
黒く焦げた肌。赤く血を流す肌。皮膚をたらす肌。
腕を前に突き出すのは、垂れた皮膚が地面に着かないようにするためだろうか。それとも、焼けてただれた腕や体がこすれて痛むからだろうか。
服がなく、裸で歩く男の人は、すれ違う人や周囲を見ようともせず、片足を引きずりながら裸足で歩いている。
あぁ、これは女の人だろうか。大きな綿ボコリのように縮れて膨らんだ髪の毛をしている。髪の毛の向こうに、血が流れる顔面から、皮膚が瞼や顎から垂れ下がっている。大きな呼吸の音をハアッハアッとさせながら、両腕を前方にあげてはいるが、腕から垂れ下がる皮膚は地面に引きずられ、途中でちぎれた。ノブコは女の人が通り過ぎたとき、思わずその姿を振り返ると、自分の背筋が凍るのを感じた。むき出しの背中は焼けただれ、割れた肉から血がダラダラと流れていた。おばあさんなのか、女学生なのかも分からないこの女の人は、出血したまま、どこまで歩いていけるのだろうか。
ノブコは、自分の肩をすれ違っていく人々の姿に驚愕していた。そして、昨日の朝のことを思い返さずにはいられなかった。
昨日の朝、もしおばあちゃんに急かされて家を出ていなかったら、今頃あたしはどうなっていただろう‥。
隣駅の向洋(むかいなだ)の辺りを過ぎると、家々はほとんど崩れ、火と煙が上っていた。
火傷を負った小学校1年生ぐらいの少年が、線路の上を広島方面から一人で歩いてきた。両腕を前に上げる力は既になく、指先から垂れていた皮は地面の上を引きずられている。少年は口元を動かしていたが、ノブコはすれ違い様に、
「母ちゃん、母ちゃん」
という少年が呪文のようにつぶやく、かすれた声を聞いた。ノブコは声をかけようとしたが、かける言葉が見つからずに、結局、通り過ぎていった。
男か女か分からない、火傷の激しい裸の大人がすれ違っていく。自分が裸であることや他人の目を気にする様子はない。ただ、苦しそうに前に進んでいく。
熱傷は、やけどの深さでI度、II度、III度と分類される。強い日焼けはI度、浅達性II度では、発赤や水疱や腫れを生じ、傷は残らない。深達性II度から白くなり痛覚を損傷するので、痛みも感じにくくなる。III度では白や茶色などに変色し痛覚を感じる神経も焼かれているため、無痛となる。原爆の絵などでは、皮膚を足れ下げて歩く人々がよく描写される。大勢の方がそのような悲惨な火傷を負った。皮膚が垂れ下がった方々はIII度の熱傷を持っていたと考えられる。現代の医療を尽くしたとしても、III度の熱傷を体の10%以上に負った方の致死率は非常に高い。くりかえしいうが、ノブコが見た火傷を負った人々は、重傷の熱傷の上に、放射線にも体を蝕まれている。 彼らの熱傷の多くが地表温度3000℃以上ともいわれる熱線によるものと考えられるが、放射線も熱傷の原因となる物である。厳密に熱線によるやけどか、放射線被曝によるやけどは何パーセントあるのかなどは、不明である。