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幼少期の過去世の記憶

私には過去世の記憶がいくつかあります。
ヒプノセラピーや自然と思いだした過去世なども含めると、認識する過去世はすでに数えきれないくらいあるのですが、
今日お話しするのは、先天的に私が持っていた記憶です。

私は、生後30日で両親の元を離れ、祖父母と曽祖母が暮らす他県に預けられました。幼稚園の年少組に入園する3歳まで、そこで育てられました。
その3歳までに起きたことを今でも覚えているのです。

ひとつめの記憶


それは、何度も何度も同じ夢を繰り返し見ていたことです。
幼児が熱を出すと同じ怖い夢を見るとかも聞くのですが、体調不良に関係なく定期的に見ていました。

6人くらいの楽隊が毎回私を迎えにくるのです。
楽隊はオート三輪の荷台に乗っている時もあれば、馬車の時もありました。
(オート三輪は、おそらく現実が混ざっている。時代がわかりますね笑)

その楽隊のリーダー格の男と私は恋仲にありました。
その男を愛していた記憶はあるも、感情はすでに過去のものとなっていました。その夢の中で、カエル化現象が起きていて、話もしたくないし、姿も見たくなくて、とにかく気持ちが悪いのです。
その男と楽隊たちは、誘うように楽しい曲を演奏し、私の本能を目覚めさせようとします。
私はかつてそこで、歌ったり踊ったりしていたことを覚えています。
そしてリーダーは言います。

「迎えに来た。一緒に行こう!」

気持ちが悪くてついていくことができません。

「私は行けない。行きたくない。もうこっちにいる。」

しつこい誘いを毎回断り、その都度彼らは森の中に帰っていきました。
その後ろ姿を見届け、安堵することも覚えています。
目が覚めると、またあの夢見た。帰って行った、よかったと思っていました。
ある時、あまりのしつこさに観念した私は、腹を括ると言いますか、
半ば諦めと度胸のような、いわゆるブッちぎれで、

「もういい!わかった!!行ってやるよ、どうにでもなれ!」

と言い放ち、そのリーダーの手をとり楽隊に飛び込みます。
そして、一緒に森の中に消えていきました。
これ以降この夢は見なくなりました。

感情の記憶は残る。


幼児が見る夢なのですが、私の感覚は「この男を愛していた」とか、
その関係の艶かしさなどの記憶があり、その部分だけ子供の感覚ではないのです。
祖母たちが視ていた昼ドラの男女関係のもつれや、登場人物の感情なども理解し、ストーリーを先読みするようなことを私が言うので、
「ませた子やね〜。もう見たらダメ!」と祖母を困らせ、呆れられていたように思います。

その後、小学生になった時に「ジプシー」と言う言葉を知り、その言葉が私をざわつかせ、またあの夢の記憶が戻りました。
懐かしさと愛おしさと不快感が全部混ざっているような複雑で、その感覚が腹の底から湧いてくるとでも言いましょうか。
今思うと、第二チャクラから上に上がってくるような感じです。
女性は子宮で記憶すると言いますが、本当にそんな感じです。ちょうど初潮を迎える頃とも一致していました。

ふたつめの過去世


ふたつめの過去世の記憶は、3歳の七五三の時に現れました。
七五三で綺麗な着物を着せてもらう時のこと。
祖母に帯を締めてもらう時に、
「帯は後じゃなくて、前で結んで!」と駄々をこねました。
「前よ!前じゃないとおかしい!前じゃないといや!」

祖母は、「なんね、おかしな子やね。帯は後で結ぶものよ。」と言いますが、その時の私は、地団駄踏んで「前で結ぶ〜」と言って泣きました。

3歳の子が帯の結び方にこだわるのはおかしな話です。
ですが、のちに遊女だったということで腑に落ちるのです。
映画やドラマなどで見る遊郭や花魁のシーンがとても懐かしく、全て知っているという感覚が蘇ります。

今世での再会。


今から20年くらい前のことですが、
それまでお互いに敵視し、怖いと思うような存在、Iちゃんと出会いました。
なぜか彼女のことが気になる。話をしてみたいのだけど、
Iちゃんはきっと私のことを嫌いだろうと思っていました。
ある時、ひょんなきっかけから、お互いに共通する人物に対し不満があることがわかり、そこから一気に意気投合し、どんな話も共感できるようになりました。
毎晩のようにお互いの心情を語り合う仲になり、
Iちゃんも私を怖いけれど、気になる存在だと思っていたことも打ち明けてくれました。同じように感じていたのです。
その時、Iちゃんが思いがけず、

「ねえ、ドロッぺ。あんた前世花魁だったでしょう?
わかる!私もそうだった。私たち良きライバルだったよね。」


と言ったのです。
過去世のお話しなどは、ふわふわしていて、
なかなか人には理解されず、心の中の記憶としてしまっていることが多いのですが、相手の方からズバッと言われるのも不思議な体験です。
今世の再会をお互いに確認できたことも、過去はどうであれ、
懐かしさと共に、分かち合い信頼できる人となりました。
Iちゃんは、その数年後、先に彼方へ旅立ってしまったけれど、
夜を明かすほど、おしゃべりに興じた時間はかけがえのないカルマの清算の時間だったと思っています。

人生を終わりにしてくれた人


Iちゃんとのお別れの数年後。
今度は遊女から花魁へと成長していく中で、私を見守り、叶わぬ恋心を持っていた男性との出会いがありました。
遊郭で男衆さんをしていた方です。
何度か整体をしていただいて、体に触れられている最中に、当時の映像が流れてきたのです。
私が孤独感で心が塞ぎそうになった時も、ささやかにずっと支え続けてくれた人。
私は彼への感謝はありましたが、恋慕うまでの気持ちはなかったことがわかります。ですが、何かの誤解から男女の関係を疑われ、掟厳しい世界では残酷な仕打ちが待っています。
彼にとって最も厳しい仕打ちです。
彼自身が私を折檻するというもの。
この仕打ちが、この過去世の最後のシーンです。
彼にとって、どれだけ辛いことだったか。
ですが、恨みつらみもなく、私の物悲しい人生を終わりにしてくれたことに感謝しながら旅立ったことを思い出しました。

なんとなく、施術を受けながら彼の好意を感じていた私は、
この話を彼にしてから、ここには行かなくなりました。


こどもは記憶を持っている。

昨今、胎内記憶や命として宿る前の記憶を持つこどもたちの話をよく見聞きします。
こどもたちは、空想の世界のことをお話ししているのではなく、
本当の記憶を話しているのです。
それが拙い言葉だったり、辻褄が合わなかったりすると、
大人は「何言ってんの〜不思議な子ね。」ってなるけれど、
本当のお話をしていて、感情的には成熟しているものを持っているのだと思います。
特別なこどもにだけ起こることではなく、みんなにある記憶。
大人になるごとに、現実世界の刷り込みが入り、純粋さが減っていくと同時に記憶は薄れて、どんどん忘れていってしまいます。

私の場合は、大人になって点と点が結ばれていくような出会いもあり、
答え合わせをしているように、自分の人生を眺めることができています。


今ここを生きるヒントに

今日お話しした過去世以外にも、ヒプノセラピーによって引き出されたもの。瞑想などによって蘇った過去世もたくさんあります。
どの過去世が見たいかなどは、コントロールはできないけれど、
後天的に引き出される過去世は、その時の私に最もメッセージ性の高い過去世となります。
何かヒントを得て、腑に落ちることがあると、そこからまた一歩前進できているように思います。
大事なことは、その過去世を引きずることなく、今を生きるということ。
過去も未来も、今ここの私の中一点にあるということです。

ここまでおつきあい下さり、ありがとうございます。

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