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コラム:「理屈は分かったけれど、ご飯を残すのは無理!」という人に

 マインドフルに食べようとするとご飯を残す場面が増えると思います。「『すでに満足していたり、美味しくなかったりした場合はそれ以上食べなくて良い』というのは、理屈としては分かったけれど、食べ物を残すことにどうしても罪悪感がある」という人もいると思います。食べ物や命を大切にしたいというのはとても自然な気持ちです。一人で生きているのではなく、食べ物や命によって生かされているという感謝の気持ちは素晴らしいものです。その気持ちを生かすためにも、よりマインドフルに生活していくことが大切です。

 お腹が一杯で苦しいのに嫌々食べて、体を壊し、自分の命を削ることが本当に食べられる命に対する感謝を示すことになるのでしょうか。食べる食べない以前に、命を殺しすぎた、食べ物を作りすぎた、食品を買いすぎた時点でその命はすでに無駄になってしまったと考えられると思います。必要もないのに食べるという行為で、余計に刈り取った命に対する罪が帳消しになると考えるのは、私たち人間の傲慢とも言えるのではないでしょうか。必要な分しか買わないようにする姿勢の方が、命を尊重する行為だと思います。売れ残りが多ければ、生産者は生産量を減らすでしょう。


 自分の空腹感、食べたい物に忠実に、マインドフルに注意深く食べるものや食べる量を選んでも、当初思ったより早く満足してしまって、残さざるを得ない時もあると思います。残りを冷凍や冷蔵をして後で食べるという選択をすれば、空腹な時に再び美味しく食べることができ、食べ物へ感謝する気持ちも再度湧き上がることと思います。


 量が多すぎて食べられなかった天ぷらの衣やピザの耳など、保存して後で食べても美味しくもないものもあります。私達は全く無駄なく、余剰なく生きていくことはできません。何かを犠牲にすることなく活動することはできないため、それを避けようとするのは、とても不自然なことです。その不自然さを何とか消そうとすると歪みが生まれ、残してはいけない、命を粗末にしてはいけないと食べることで、自分の体という一つの命を粗末にすることになります。自分の体も大切にするべき命です。あなたが大切にしたいと思っている人や命と同様に、あなたの体や健康も大切です。私たちはどうしても自分のことは粗末にしがちですが、自分の体もこの世界の一部であり、大切な命であることを忘れないでください。

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