見出し画像

タチヨミ「星原理沙 小説集 その1」   天空の国 第5話  彫刻

彫刻


 枯葉が落ち、木枯らしの吹くころには、焚きものを採りに岩坂山へ行くことが増えた。その日は、寺へ着くと景清さんはちょうどお堂で読経しておられた。私は声をかけずお堂の前で手を合わせ拝んでいた。千手観音を見た。その手の一本一本を見た。その指先の差している空を見た。千手観音の静かに伏せている目を見た。目が見ているのは眼前ではない。指の差す彼方を見ているのだ。流れるように捧げられる経を聞きながら私も祈った。読経が終わり、景清さんは手を合わせ千手観音に向き合ったまま静止している。しばらくして、ふうと長い息を吐くと肩が丸く落ちた。
「景清さん、こんにちは。心平です」
「おお、心平さん。来ていたのですか」
「はい。一緒に拝んでおりました。何やらわからないまま、修行もしていないものが一緒に
拝んでいいのでしょうか」
「素直な気持ちが何よりです。千手観音は喜んでおられると思いますよ。さあさあ、寒くなりましたね。お茶ばかりですが、庵で休みましょう」
「はい。景清さん、今日は芋を焼いてきました」
「おお、ありがたい。さっそく、いただきましょう」
「この前は、屏風と筆を頂いて、ありがとうございました。あれから絵の練習をして、何日もかかりましたが少し描けるようになったと思いましたので、屏風に一本野菊を描いてみました。もらってから、時々、枕元に屏風を置いて眠りましたが、ぐっすり眠れます。良いものですね」
「気に入ってもらえて、何よりです。今日もいいものを用意しましたよ」
景清さんは、奥へ入っていき手に道具を持って戻ってきた。
「これは木を削って彫刻をするためののみです。とんがった部分で線を彫り木像の細かい部分を作ります。例えば、魚でもよいでしょう、鳥や獣でもよいでしょう」
「なんと。そんなことができるなんて」
「こうやって使うのですよ」
景清さんは片手にのみを片手に木槌を持ちのみを打ってみせた。
「何か彫ってみませんか。ここにあっても使うことはないから心平さんに使ってもらった方がいいのです」
そうだ、これはいい。この寺にある彫刻は、この道具で細工されているのか。難しそうだが始めてみたい。しかし、うまくなるには時間がかかりそうだ。
「よければ、もらってください」
「よろしいのですか、いただいて。ありがとうございます」
「ところで、心平さんがこちらに越してきたのは、領主からの命令と聞きましたが、その後何かありましたか」
「いいえ、何も」
「そうですか」
「何か起こるんでしょうか。私の知らぬところで何か起きているのでしょうか」
「いいえ、ここはまだ平穏です。しかし、都は今、南北朝と言って権力が南朝と北朝に分かれています。それぞれに帝を立てています。宮崎莊の図師氏は南朝方についています。宮崎でも北朝方についているものがいるので、都の動き次第でここにも戦が起こるかもしれない。特に池内はそうなんですが、この辺りは古代から豊かな土地です。富を生むものは繁栄を呼び、また強欲なものの欲しがるものとなり、争いの地になりかねない。用心深くしていましょう。しかし、今は、この平穏を大切に、十分に味わうことにしましょう」
「はい」
  景清さんは、両手に持った湯呑を顔に近づけて茶を飲んだ。のどが動いて茶が下りていく。冬なれば、生き物の息も足音もなく静か。ただ、どこかで鳴くキジの声が届くばかり。この静寂を、この平穏を味わおう。








連載始めます。時は南北朝時代。自然と共にささやかな暮らしを営む農夫である主人公が戦に巻き込まれていく物語です。まずは、主人公心平の大切にしているささやかな暮らしをご覧ください。

                             星原 理沙



【 出版書籍 】
「コーヒーを飲みながら」第1巻 

2021年8月に自費出版いたしました。コチラから購入できるようになっています。よろしければ、ご覧ください。
小説集はただいま執筆中です。


いいなと思ったら応援しよう!