球団ヒストリー50.少数精鋭
「負ける気がしない」
2011年末に思い切ったチーム改革を断行し、練習に来られない選手は退団した。チームメンバーは半減。
そして翌年は新入団選手を含めても、20人ほどでの再出発となった。
とはいえ、就職斡旋によりキャッチャー北迫太樹さんと主砲田上幸司さんが確実に試合に出場できるように。そして制球のいい松元恭輔投手が入団し、さらに大エース竹山徹投手の復帰。
当時の様子を田上さんはこう語る。
「負ける気がしなかったですね」。
負ける気がしない?
しかし解散も厭わない改革から数か月で、いくらなんでもそんなことはないのでは?
野球を長く見続けてきたせいか、いや誰でもそう感じるのか、ふとそんな疑問が湧いたので尋ねてみた。
このころ入団したばかりの松元さんは、少し困ったような笑い声を挟みながら「…はい、そんなことはないです」と。
つまり、そこまでの強さや勢いを感じたわけではなかったらしい。
少数精鋭×ポジティブ
ただ、田上さんのそのポジティブさは本物だった。
当時からずっと「負ける気がしない」と言い続けていた田上さん。
それに引っ張られるように、チーム全体の雰囲気も明るくなっていったのではないか。
松元さんは当時のチームを「少数精鋭」と表現していた。
ホワイトウェーブ時代からチームを守り続けてきた当時のキャプテン芹ケ野拓さんや元キャプテンの磯辺一樹さんという強い軸に、しっかり者の長男のような北迫さんと、屈託のない前向きさにチームを巻き込む田上さん。鹿児島ドリームウェーブは、コンパクトながらバランスの取れたチームだったという印象を受ける。
都市対抗野球一次(南九州)予選優勝!
その勢いのまま、鹿児島ドリームウェーブになって初の公式戦である第87回都市対抗野球大会南九州予選では、初戦宮崎福祉医療カレッジ戦を9-2と7回コールドで圧勝、続く決勝戦は、JABA(日本野球連盟)に同期登録した企業チームである宮崎梅田学園を4-0で下して二次予選への進出を決めた!
たった20人で!
つい半年前は崩壊の危機で、練習すらひと月ほど休んでいたのに!
このとき、涙する選手もいたという。
勝利して涙する。
これが意味することは、それまでの軌跡だ。クラブ日本一を目指すと口にしながら、いつの間にかどこへ向かっているのかすら本当は分からなかった、そんな日々を超えてきたからだ。
そしてそんな日々を共に超えてきたもののチームを離れることになったチームメイトの想いまで背負っていたから、なのかもしれない。
このあと6月に行われた二次予選は、さすがの強豪を相手に一勝もできず敗退するのだが、この一次予選突破は、生まれ変わった鹿児島ドリームウェーブにとって大きな大きな第一歩となった!
そして快進撃が始まる。
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