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「なんとかしたい」とのかかわり方。
企画メシ第3回は、なんとかしたいの企画。
自分のことで、もしくは身の回り(社会、世界を含め)のことで、なんとかしたいと思うことを起点に、それをどう変えていけるか企画を考えるのがお題だった。
なんとかしたいは、意外と難しい。
気づかないうちに最初から諦めてしまっていることもあるし、忙しい日常の中でするりと逃げていってしまうこともある。
特に広告の仕事をしていると、自分のなんとかしたいよりも、人のなんとかしたいによって動かされる機会が圧倒的に多いように思う。
もちろん人のなんとかしたいに共鳴して、
同じ舟に乗り込んでいくことも大切。
でもその手前にはきっと、自分のなんとかしたいがあって、それがうまく重ねられるときによき仕事やよきプロジェクトが生まれていく気がする。
私は、なんとかしたいがある方だと思う。
でも、熱量にギャップがあると、相手と課題感をうまく共有できなかったりすることもある。
なんとかしたい、はなんて難しいんだ。
講義から数週間経っても、まだモヤモヤした部分がある。
もう次の講義が近づいている。
「なんとかしたい」をぶつけてもらえる自分であれるか。
今回、講義の課題として、各々の企画生がなんとかしたいの企画を持ち寄った。
課題という立て付けがあったから、なんとかしたいをぶつけ合うことができたという側面もあると思う。
それでもなおこんな感情が湧き上がる。
人を巻き込むなら、どれぐらい巻き込んでいいんだ。
そもそも、なんとかする覚悟が自分にあるのか。
思ったより、自分もみんなも遠慮しがちだ。
周りから声をかけにいったり、スキルをアピールしないと、「一緒にやろう」までなかなか行けなかったりする。
なんとかしたいの障壁は、この部分にあると思う。
みんな自分の覚悟を確かめているし、本当に人を巻き込んでいいのか不安だ。
でも、本当はもっとラフにやってみていいんじゃないかと思う自分もいる。
生煮えでいいんだと。
自分自身のなんとかしたいに関しては、まず自分1人でミニマムではじめてみる。
そして、人のなんとかしたいに共鳴していく上で大切だと思うのは、声をかけてもらえる自分であることだ。
思ったよりなんとかしたいには、共有したり、巻き込んだりする際の壁がある。
だからこそ私はその壁を認識した上で、できるだけオープンでありたい。
今の段階で完璧になんてできていないけれど、オープンでいた結果、実際に動き出せているなんとかしたいもある。
こんなことなら手伝えそうだよ!
こんなの見つけたよ!
一緒にやろうよ!
と言える自分でありたいし、そのスタンスも合わせて発信するよう心がけたい。