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#26”人の不幸は蜜の味”と説く心が、不幸せ。蜜の味だと感じた味は、ただのあなたの心が生み出した甘味料かもしれません。(貧困幼少期からNPO代表理事までを100日で振り返る)
野島伸司さんが魅せてくれる世界
自分を何となく可哀そうだと思うと、心のバランスを取るために、自分よりも可哀そうな何かを探すようになりました。
私の心を満たしてくれたのが、野島伸司さんのドラマです。
(家なき子・高校教師・聖者の行進・ひとつ屋根の下など・・)
過激な描写もあったため、子供に見せたくないドラマにランキングしていましたが、母は気にしていないので見れました(笑)
母の教育はありのままでしたが、教育の中で綺麗なモノだけ見せるより、ありのままで見せていいのではないかと感じています。体験から学ぶ事は座学では得にくい事も得れます。
今思えば激しい描写でも画面外では『カットー!お疲れ様です』と撮影が終わっていて、画面で魅せてくれるエンターテインメントですが、当時の私には見えていませんでした。
(自分より、可哀そう・自分の方が、まっしだ)
そう思えることで何となく救われていました。
ただあるとき、人の不幸を喜ぶ自身の姿に心が悲しくなりました。
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人の不幸とは何か?です。
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自分という人が自分以外の状況を勝手に、不幸だ、蜜だと決めつけただけにすぎず、実際のところは何もわかっていないのです。
私は一人ぼっちでお留守番していたとき、周りから見たら可哀そうな子どもに見られていましたが、私は楽しく過ごしていた体験がありました。
その話はこちら
人の不幸を望む姿を通じて、勝手に不幸だと決めつけて幸せになろうとするる自分の心の不幸さに気づけました。
不幸は探そうとすると、ささいなことから大きなことまで、ずっと意識が不幸しか見つけられなくなる(見ようとしない)ので、おススメしません(笑)
人の不幸が欲しくなったときは、そもそもの自分の幸せな状態とは何かを考えてみるといいかもしれません。
あれがあれば幸せ、これがあれば幸せ、色んな条件や視点があると思いますが、どれも自分が決めたに過ぎない事に気づけると面白いですよ。
人の不幸を望むより真っすぐ自分の幸せを求めに行く方が、自分の幸せの近道だと、人の不幸を沢山望んで遠回りしてきたからこそ、こう感じます。
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ささいなことで人生は変わると信じています。
それは、人生の大きな決断の手前にあるキッカケになるのではないかと。節目を思い出すと決断の前には、ささいなキッカケがあったからです。見て下さったあなたの何かのキッカケになればと思って綴っています。
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