#90〇ちゃんだけだよはウソ(笑)友達には言えないことは文通相手に言ってみたあの日。友達はリアルである必要も同じ年である必要もないよね。話せる人といたらいいと思う。(貧困幼少期からNPO代表理事までを振り返る)毎日更新
山崎豊子さんの「不毛地帯」を見終わって、「華麗なる一族」を借りてみています。作品にぐっと引き込まれます!時代背景は違っても心がぐっとなる物語に共通点があるのではと考えつつ、楽しませてもらっています。
友達って別にリアルの場だけじゃなくて良い
友達は、ほとんどいませんでした。時々話してもらうとか、時々話すとか遊ぶとかあっても、「親友」と言えるような存在は中学時代にも居ませんでした。友達に本音で話したら内緒にしてねと言ったのに、違う子にチクられている(共有されている)とかあって、気持ちが休まらないのです。
「〇ちゃんだけだからね」なんて言葉は言われる側であっても、言う側であっても、嘘だなぁと思うようになったのは中学時代の体験からきていると思っています。
「〇ちゃんだけ」というのは、そういう風な演出であって、基本〇ちゃん以外にも言っています(笑)言えないことは誰にも言えない。自分が自分の暮らしについてひたすら黙って隠していた事からも思う。大人の世界なら事実そうかもしれないけれど、多感な時期は・・・・共有していい事は共有しているし、しないことはしないと思っています(笑)
旧知の仲の友人に、隣の家がヤクザやったと言えるようになったのも近年。学校にも家にも居場所が無くて、漫画を描いて漫画を読んで暮らす。時々『あいつ漫画好きらしいけど、キモっ(笑)』とか言われることもありましたが、(迷惑かけてないしいいか)と思っていました。
なぜあれ程にマンガやアニメ好きに、市民権が無かったのかが謎です(笑)
雑誌の投稿生活をし始めたあたりから、文通というものをするようになっていました。文通友達の応募欄があって、文通したい人が居ると連絡をしていました。
10人程とはやり取りしていました。自分より年上の人が多くて色んな事を書いていました。絵を描くのが好きという共通点なので、楽しく文通させてもらっていました。
高校生になってからは段々疎遠になって、今もつながっている人はいませんが、あの時に色んな事を聞いてくれた周りに感謝。今はSNSが盛んなので、リアルな友達に問わず、自分が本音を言える場所は見つけやすいのかなと思ったりします。
友達を作ることや存在する喜びを提案されることはあれど、実際に友達を作る事に疲れる子供もいるのだと、自分の過去の暮らしから思いました(笑)そう思いつつも甥っ子に「友達と遊んだりするの?」とか尋問的な会話をしていることにnoteを書きながら猛省しました。
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ささいなことで人生は変わる! その一歩は自分が踏み出すこと。
見て下さったあなたの何かを踏み出す
キッカケになればと思って綴っています。