#27「私達、親友だよね」と関係を確認する時の脆さ体験。親友とは成るものじゃなくて、なっているものなんだよと教えて貰った体験。(貧困幼少期からNPO代表理事までを100日で振り返る)
親友ブーム到来。
ちびまる子ちゃんが大人気!まるちゃんとたまちゃん(キャラクター)が親友だという話からか、”私達親友だよね”というブームの到来。元々友達が多くない私は、親友と言える関係性が羨ましいなと思いつつ、言える存在がいませんでした。
ある時
『わたしたち、親友やんもんな』と学校に一緒に行って貰っている女の子から言われました。
(そうなの・・?!うれしい!?親友!!!)
「うんッ」
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「おかあさん、あたし ■ちゃんと親友になった~♪」
『そうかー。 けどあんた、 親友ってなるもんちゃうけどなぁ』
「どういう意味? ■ちゃんは親友っていってくれはったで?」
『まぁ、いいやん。よかったなぁ』
この後日、親友と言ってくれた■ちゃんが別の女の子と親友という事を知りました。
がーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん
(親友って言ってくれてたのに、親友じゃなかったんや)
■ちゃんに私は親友じゃなかったの? と確認できるだけのコミュニケーション力はありません。自分の感情をうまく表現できませんでしたし、そもそも親友であるという自信もなかったのです。
だから私は、親友になれたというわけのわからない認識をしていました(笑)
この一件で悲しくなった私は【私達親友】 というようなやり取りが、中学・高校でもありましたが、言葉に表現した時の脆さをこの一件で体験したからいうことは無くなりました。
BEST FRIENDとホントはないのにあるように書く、虚無感はわすれられません(笑)
親友ってなんやろ?と突き詰めた時に何もありません。
ミエナイものをまるであるかのように話すことに脆さを感じています。親友という言葉で確認しあうことに意味があるわけではないですよね。
一時的な幸福は得られますが、実質的には何もなかったことから、口頭で確認して出来る関係ではないことを感じました。
口頭で確認して親友になれたと思い込んでいたあの日の私。
言葉に発してその瞬間からなれるものだとしたら、元々ないんだよと伝えたい。そのことを母もわかっていたから、なるもんじゃないという意味深な言葉をくれていたのだと思います(笑)
当たり前にそうだとしたら、「親友だよね」ということはありません。
それは言い換えると「私達、家族だよね」と母に言ったことがない言葉に通ずるものがあると思っています。
当たり前にあるものは、あえて確認しなくても、そこに在るんですよね。
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ささいなことで人生は変わると信じています。
それは、人生の大きな決断の手前にあるキッカケになるのではないかと。節目を思い出すと決断の前には、ささいなキッカケがあったからです。見て下さったあなたの何かのキッカケになればと思って綴っています。
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