ストリートアートはメルカリの彼方
僕は唐突に、エッセイ本を作って売った。販売ルートは、メルカリ。セブンイレブンでモノクロコピーしたA5のペラい紙を、ホチキスで中綴じ製本して、転売する本にオマケとしてつけた。「オマケがつくので、定価より高い値段で販売します」と言い訳も書いて。エッセイ本の内容は、メルカリで転売する本の感想。つまり、自分の感想本をつけて、とある本をメルカリで売ったのだった。
人気本の転売だったからすぐに買い手がついた。買った人から、取引プラットフォームでメッセージが来る。
「エッセイ本も、楽しみです。」と。
そのコメントを読んだ時、僕は、送ることを少し躊躇した。
『楽しみになんて、しないでくれよ・・・。ただ、転売値引き上げの言い訳用に作ったにすぎないモノなんだから・・・。』
僕は、メルカリの文化が好きだった。
こんな真似をしたのは、初めてメルカリで買った時、買った猫のぬいぐるみの「髭のお手入れ方法」の手書きメモが入っていた時の感動を、真似してみたかっただけだった。『髭を指で、ピンとしてあげると良いらしいです。』と、手紙には書いてあった。
クシャクシャな髭でも、送ってしまえば、知らん顔できるのに。その人は、箱の中でクシャクシャになってしまうであろう、猫のぬいぐるみの髭が、ちょっとしたメンテナンスで元通りになるよ、と律儀に書いてくれた。
僕は、ある本を転売するつもりで購入した。
転売目的で本を買うのは初めてだったし、転売するのも初めてだった。
「定価より高く売りたい。自分が買った本代がチャラになって、かつちょっとでも利益を出したい。その金でまた他の本を書いたい。」そう考えていた。僕はお金がなかった。お金があれば、本も沢山買えるのにな。なら、お金がある人に、代わりに買って貰えば良いんだ。そういう思考回路だった。お金がなさすぎて、自販機のお釣り口に手を突っ込んだし、公園の水を飲んだ。トイレはできるだけ外出先で済ませたし、服は友達から貰った。髪の毛は駅の多目的トイレで切った。百均のハサミで。一個2円の内職をして、一問一答1円のモニターアンケートに答え続けた。湯たんぽのお湯は何度も繰り返し沸かしなおした。自分の家はない。知り合いの家に格安で間借りしていた。
エッセイ本は、ネットカフェのPCで書いたPDFの文章をセブンネットプリントにアップロードしてプリントした。安っぽいコピー本、だけど本だった。転売に出した人気本の感想と、その本によって生き方を変えようと自分が実践した具体的な行動の記録と、自分の今のお金の考え方の事。つらつらと吐き出した。30分360円の最低料金の時間以内でざっと文字に書き出したあとは、読み返さずに印刷して製本し、送る箱に投げ入れた。
メルカリで売れたのは、人気本だ。僕の本じゃない。でも
「楽しみにしています」と、言われた。
僕の本に期待して、割高な本を買ってくれた人がいる。僕は、気が重かった。ちょっといたたまれない気持ちになった。もしかしたら、買った人が僕の書いたエッセイ本を読んだら、怒るかもしれない。「くだらないモノ書きやがって、期待して損した」とか。
でも、まあ
「僕には関係ない。」
そう思って、売った。
商品が届いたと、購入者から通知があった。そしてメッセージがあった。
『〇〇様がご自身で少しずつ身の回りのことに自分の手を加えられ、それによって日々が充実してゆかれている事がお金に換算できない価値であると感じました。
それぞれのそういったお金に変えられないものを豊かにして行くためにお金に流れてもらう、という感受性がもっとこの国の人達に伝わって欲しいなぁと思いました。
この1歩1歩を大切にしたいですね。素敵なエッセイをありがとうございます』
と。
僕の手元に残ったのは、人気本の内容と、いつばかのお金。そして
このメッセージだった。
僕は、そのメッセージの画面のスクショを撮った。
何度も何度も、そのメッセージを読んで、心の奥でこみ上げる気持ちを噛み締めた。じわりと視界が滲んだ。
このメルカリ転売屋兼エッセイ作家は、この出来事も書いて本にするつもりらしい。そして、手ごろな本をどこかで仕入れてきて、まとめて転売するつもりだ。
かっこいいグラフィティが、ストリートの壁というアートの舞台を発見した時のように、僕の言葉は、メルカリの転売のオマケの中で自分の舞台を発見したのだった。
2020年1月5日 ppp