#166 Dr. コトー診療所(2003)-すべての思いがこめられた「ビリーブ」
Amazon prime 紹介文
『Dr.コトー診療所』は、離島医療に情熱をかけ、命の尊さに執着する青年医師、五島健助(吉岡秀隆)の熱い闘いを描きます。 人間関係が希薄な都市と違い、島民がみな家族と言われるほど、人の結びつきが強い共同体を舞台に、親子、夫婦、友人といった人と人とのつながりを深く見つめていきます。 島には、手つかずの自然が息づき、そのすばらしさとともに、漁業など自然の恩恵にも預っています。しかし同時に、自然の厳しさと共存していかなくてはならない島の生活があり、そこには、愛も憎しみも孤独も喜びも、すべてイキのいい直球勝負の感動があるのです。満足な医療設備も整わない孤島の診療所にもかかわらず、健助は、決してあきらめません。どんな困難なオペにも、そのテクニックと情熱で立ち向かいます。 「病気を見ずに、人を見ろ!人が人を治すんだ。」 医療の原点。 人が生きていくという…
緩やかに時間の流れる離島での医療。その中で出会う様々な人々との触れ合いがこのドラマの最大の魅力。以下、独断と偏見でチョイス。
(1)死と生の境界を打ち消した「あきおじ」
自分の中では、シーズン1の主人公はあきおじ(今福將雄)だった。離島固有の緩やかな時の流れを象徴する存在。本土での治療を拒み、癌細胞に勝てず離島の実家で亡くなるが、その存在感はいつまでも登場人物の心の中に残った。死と生の境界を消滅させるがごとく、神のような存在だった。産婆さんの「うちさん」(千石規子)の存在感も大きかった。見るだけで泣きそうになった。ふたりが醸し出す空気抜きでドラマのヒットはなかった。
(2)コトーを凌ぐ存在感を示した原親子
シーズン1, 2, 3と続くにつれて存在感を示したのが、島の漁師・原剛利(時任三郎)と内気な息子・原剛洋(富岡涼)のコントラスト。投資詐欺で息子の教育費を食いつぶしたうえ、補填のための労働中に労災を起こし借金に苦しむ剛利。すべてを投げうち、コトーのような医師になることを夢見て進学した本土の中学で挫折する剛洋。不幸感でまみれたこの親子が最終的に、コトー(吉岡秀隆)と彩佳(柴咲コウ)の絆を結ぶ役割を果たす。まさしく、このドラマのキーパーソンだった。
(3)不幸を乗り越える象徴となった夫婦
原親子の不幸煽りに加え、このドラマの空気を一時沈ませたのが、彩佳の両親である星野正一(小林薫)と昌代(朝加真由美)。シーズン1では妻の存在感は薄かったが、SPでまさかの脳内出血と右半身麻痺。生きる気力を失ったところで、校舎から聞こえてきたこどもたちの歌声(ビリーブ)に癒され生きる勇気を取り戻す。剛洋を本土に送り出すために、涙を堪えて歌う邦ちゃんの姿にも感動した。
名作の影に名曲あり
離島の自然を自転車で駆け抜けるコトー。その姿をバックに流れる「銀の龍の背に乗って」(中島みゆき)。次週への余韻が大いに掻き立てられた。映画版でも同様に使用され、ホッとした。映画版は第一作から20年後の製作だったにもかかわらず、出演できなかったメインキャストは邦ちゃん(春山幹夫)とゆかりさん(桜井幸子)くらい。あれだけたくさんの演者が死別することなく、20年後に顔をそろえること自体がミラクル。それだけ関係者にとって思い入れの深い作品だったのだと思う。