生徒が生命危機の日,教員達が忘年会!集団授業で個性が伸ばせるなんて傲慢!Part4
そもそも、集団授業では、熟練した塾講師もその成績を上げるのに大変苦労するものです。「学力向上」という、明確な目標があっても、一部の超難関中学を受験する生徒以外は、塾の授業中でも、静かにさせるだけで大変。
「ゆとり教育の功罪」を書く前に、前回の校長の「宿題廃止、テスト廃止、通知表廃止!」がいかに意義がないか、書いておきたいと思います。
以前も触れましたが、所謂「宿題」は、その日の授業で理解したことを頭に「定着」させ、それが出来ているか、教師がチェックして初めて意義があるもの。その小学校では、宿題廃止前は、宿題は提出義務はあっても、教諭から、◯✖️もコメントも無く、解答も無かったとか。
つまり、生徒は、自分が授業内容を理解し、定着したか、判らない訳です。その「基礎」ができていない状態で、新しい、またはその応用に進むので、落ちこぼれの拡大再生産に繋がる。だって、自分が理解しているかどうか、知るよしもないですから。
また、テストが無ければ、出来なかった箇所も不明なので、落ちこぼれを加速させます。更に通知表が無ければ、保護者は自分の子の学力習熟度も、判らない。実際、中・高校に行ったらついていけない。これで誰が得するか?
考えればすぐ判る、教諭です。楽だから。それまで、保護者に「先生方が大変過ぎて」と何度も言っていたそうですから。
私自身、学部の学生300人以上いる履修生のレポートの採点には、3日徹夜します。授業で核となる部分が書けているか,論理構成を見て、それをS,A,B, Cと評価するのは体力も必要。でも、それは大学教授の職務(因みにD以下は不可)だし、しかも1科目や2科目ではありません。その上、研究室のゼミ生・大学院生には個人指導が必須で、今は深夜もオンライン授業。
なので、たかだか30人未満の児童の宿題を見ない、なんて、教諭の職務怠慢です。勿論、保護者によると、きちんと頑張っている先生はいるそうです。これで同じ給料ってのも教諭間の不公平では?
反論したければ、その教育方針で「自主性」「主体性」を伸ばせた事例を詳細にご報告頂きたい。それが出来ずに、今流行りのdiversity(多様性 )を言葉だけ借用したやり方はあり得ない。最後は個人指導しかないのです。個性の発見は、個々の生徒に半端でなく付き合わなければ不可能。
前回「思い上がるな!」と書いたのは、そういう理由です。
当研究所では学習政策を研究し、Dr.美子メソッドで小5の生徒に英検準1級(大学level)を簡単に合格させました。子どもって無限大の可能性があるのです。怪我した生徒には、中学レベルの英語・数学の方程式の授業を提供中!
「学校5日制」って、1970年代の日教組が企業が週休2日制なのに「教師だって人間だ」と土曜を休みにしたく運動した結果だったってご存知でしたか?ゆとり教育もそう。子どもの為、とか言って教諭が休みたかっただけ。
私の研究室で「僕たち、もろ『ゆとり』でベクトルも行列も知らないんです」と哀し気だった彼ら。だから、被害者は当時の子どもなのです。
その校長の教育方針が無為なのかを明らかにする必要があったので、次回から、その延長として「ゆとり教育の功罪」について、書きますね。
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