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認知症治療に携わる医師の私が、「認知症になったらどう思うのか」考えてみた。【認知症#12】

こんにちは。くんぱす先生です。

内科専門医として臨床経験を積んだ後、介護老人保健施設の施設長を経て、現在は認知症疾患センターの認知症治療病棟医として勤務しています。

介護老人保健施設施設長であった頃を含めて、私が認知症治療に携わって8年が経ちます。
そんな私が、将来認知症になったらどんな気持ちなのかなと考えることがあります。
そして、そんなときにnoteで記事を見つけました。

この記事を書いたクリエイターはしゃぐ年子の心さんは、介護福祉士を経て現在は看護師として勤務されている方です。
この記事を拝見したとき、私の気持ちは正直なところこんな感じでした。
「そうそう、思う!」

というのも、私は普段家族と過ごしていて「あ~幸せだな~」という瞬間にこう言います。

「ママが認知症になったら今日この日に戻ってきたいわ~」


認知症とは

アルツハイマー型などの認知症は医学的には”変性疾患”に分類されます。
(血管性認知症という脳梗塞などが原因で起こる場合もあるのでそれとは分けますね。)
”変性”というのは漢字の通り、”性質が変わる”ことです。
身近な例でいうと、お肉を焼くと茶色に変わる、あの感じが”変性”です。
生の肉に熱を加えることで肉のたんぱく質が”変性”したわけです。

認知症の場合は、脳の神経が”変性”するんですね。
現在分かっている範囲では、異常なタンパクが溜まっていくことで神経の性質が変化して認知症を発症すると言われています。
溜まる物質によってアルツハイマー型だったり、レビー小体型だったりと病型が分かれるわけですが、脳の部位の中で物質が溜まりやすい場所が違うことで症状にも違いがでます。

実際に頭を開けて脳を切り取って顕微鏡で見るわけにはいきませんから、我々臨床家は、症状の推移や現在の症状、画像所見、脳の血流検査など可能な範囲で情報を集めて認知症の診断や病型分類をしているわけです。

話を戻します。

つまりは、脳神経に余計なものが溜まって変性したのが認知症だということです。
これは基本的には加齢に伴う変化です。
そこで私はこう思うのです。
「認知症になれるくらい、長く生きられた。」

認知症になれた

事故や病気などで若くして亡くなる方は大勢います。
救命救急の現場で、産婦人科のICUで、小児科病棟で、たくさんの命と向き合いました。

忘れられないことがあります。
学生の頃病院実習で産科をローテートしていたとき、産科ICUで急変がありました。
第三子妊娠のお母さんの痙攣でした。
胎児の救命にあたりましたが、その後まもなく母体も心肺停止となり胎児は諦め母体の救命に尽力しましたが母子ともに救えませんでした。
見送る際、2人の子どもの姿がありました。
「お母さん」と呼ぶ声とともに。

私は今でもこのときの子ども達が今どうしているのか思いを馳せることがあります。今頃高校卒業くらいかな、、と。

だからこそ、私は思うんです。
自分が認知症になったら、、
いや、”なれたなら、、”と。

認知症になれるほど長生きできたことにまず感謝したいと思うだろうと。

おじいさんの古時計

あの名曲は穏やかな死についてとても素敵に表現されている曲だな~と子どもと聞いていて思いました。

『おじいさんの 生まれた朝に かってきた時計さ』
『うれしいことも かなしいことも みな知ってる時計さ』
『お別れの時がきたのを 皆に教えたのさ』

『おじいさんの古時計』のように、正確に時を刻んでいた時計の秒針が足踏みをするようになってその時から動かなくなるように、認知症は現実の時刻と古時計の時刻にズレが生じているような感覚なのかなと感じます。

自分の人生で大切にしたい時に戻れたなら

みなさんは心の中に大切にしている思い出のときってありますか?
きっと誰しも懐かしむ”あのときの瞬間”や”あの時期”があることでしょう。

ドラえもんのタイムマシーンがあったら未来にいきたいですか?過去にいきたいですか?

私は認知症の見当識障害は過去に飛べるタイムマシーンのようなものかなと思うことがあります。
現実の時にいるときもあれば、まだまだ小さい我が子を育てている育児に奮闘していた時期に戻ったり、さらに自分が小学生くらいでお父さんやお母さんと一緒に住んでいたり、、

そのタイムトラベルでの行ったり来たりが頻回だと本人も混乱して不安や焦燥感(ソワソワ)になりかねませんが、ゆったりとタイムトラベルできていれば素敵じゃありませんか?

だからこそ、私は穏やかな妄想にはなるべく付き合うようにしています。
患者さんの妄想の世界にお邪魔させてもらっています。

本の紹介

実際に当事者となった認知症専門医でいらっしゃった長谷川和夫先生はこの本で思いを綴られています。

この本は、これまで何百人、何千人もの患者さんを診てきた専門医であるボクが、また「痴呆」から「認知症」への呼称変更に関する国の検討委員も務めたボクが、実際に認知症になって、いま、何を思い、どう感じているか、当事者となってわかったことをお伝えしたいと思ってつくりました。
ー中略ー
認知症になった自分が、認知症の人や家族が暮らしやすく、生きやすい日本になるために、いささかなりともお役に立てるなら本望です。

ボクはやっと認知症のことがわかった/長谷川和夫より引用


本日もお読み頂きありがとうございました。

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