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教育について考えること

 私のような人間が教育について話をするのはおこがましい。しかも、この本を読んで、外面(そとづら)ぐらいしかわかっていないと思うが、この本についてアウトプットすることは、私にできる日本への小さな貢献だとも思った。私より教育に詳しい方、現場を知っている方が読んだらどう思うのだろう。そのような意見も聞いてみたい。

「社会を変える学校、学校を変える社会」(時事通信社)

「社会を変える学校、学校を変える社会」(時事通信社)

 私も、日本の社会が少しでも良くなればいいと思っている。その中で、教育は不可欠の問題だということもわかっていた。教育が変われば人間も社会も変化するとは思っていた。しかし、その日本の社会が大きな変化を望まない。だから変われないんだと思っていた。
 著者(対談集であるが)の1人、工藤勇一氏を知ったのは新幹線で読んだ雑誌だったか。千代田区立麹町中学校の学校改革をやって注目を浴びている校長の記事だったと思う。その後、特にそのことについて関心を持ったわけではなかったが、今年に入ってテレビで氏の活躍を知り、興味を持っていたところ、この本に出会った。
 対談者の植松努氏を知ったのは、多くの方と同じで伝説のプレゼン、TEDxSapporoだった。誰もが思ったであろうが、人柄が全面に出る、楽しく、それ以上に大きな同意と感動と希望を体感するプレゼンだった。それから氏の記事があれば注目して読んでいた。

 この対談、教育論ではない。実践論だ。机上の空論ではない。それだけの成果を出した方の言葉はすべて重い。そして全編希望がある。「こういうことをすると良いと思う。だからやったらやっぱり良かった」という結果まである。現役教員の中には、今の教育体制ではなく、もっと良いものがあるはずだ!と思っている方も多くいるはず。そういう方が「間違っていなかったのか」と感じられる内容だと思う。

 ざっくりとした私の理解でいうと、真の意味で自主性尊重。そんなことなは陳腐のように感じるかもしれないが、現在全く行われていないことがよくわかった。自主性は尊重されない教育が行われているのだ。それは親も、教師も、そして社会も。しかも、集団になった瞬間、個人の自主性は奪われる。もちろん、私もこの日本で教育を受けてきたので、今の歳になるとそうだったなぁとわかる。
 工藤氏の「学ぶ気持ちになるまで待つ」「勉強しなさいとは絶対言わない」という非常識な教育。本だけですべての実態はわからないが、それでも結果を出したということは痛快だった。日本人には自主性がなかったわけではない。教育だったのだ!と。その自主性とは「する」という一言で集約できるように思った。「してもらう」ではなくて。
 植松氏の会社(植松電機)はトップレベルの技術で評価を得ている。しかし、驚いたことに理系の大学卒は取らないという。なんと高卒文系の女性が多いらしい。大学で失敗しないで過ごしてきた優秀な学生より、伸びしろの塊の人材を取るということか。それこそ会社での教育で人を伸ばせるとの自信があるせいだろう。

 読む人が読めば私のように痛快に思うだろう。しかし、苦々しく思う人や、「どうせそんな事はできないだろう」と思う人もいるかも知れない。それでも、こんな本が出てきたことに日本の希望を感じた。
 私は学生教育ということで深くはかかわらないだろうが、自分にできる教育を考えていきたい。

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