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やっぱり私、子宮がんやめました

2023/11/1

はじめにーー占いと乾燥機、ぐるぐる

「来年は、健康診断に気をつけてください」
「再発するっていうことですね?」
「それが言いたかった」

20231年11月1日。この日は、ジュンク堂池袋本店での『虐待サバイバーという勿れ 虐待サバイバーという生き方』(新評論)の出版イベントである写真展が無事開催され、東京新聞の取材を受けていた。

「じゃ、またね。私はちょっと池袋を散歩してから帰るよ」 

写真家の田中ハルにそう言って、私はサンシャインを目指して歩き始めた。途中、「宮城ふるさとプラザ」に寄り、蒸しホヤの酢漬けとホヤ味噌を買った。「お土産だよ」と手渡すと、「えー、ホヤが蒸してあるの?」と可愛らしく驚く母の顔を想像しながら、私は足を速めていた。

何か、もやもやする。絶対に、何か、おかしい。その何かに急き立てられた私が向かったのは、「池袋占いバランガン」だった。

エレベーターを昇る。三階。扉が開く。三〇分待てば、見てもらえるという。「こちらで待っていてもいいですか?」「どうぞ」と受付で優しく微笑まれた私は、窓側の木でできたベンチに腰掛けた。

座った膝の上に乗せた鳥かごの中から、小鳥の「ちっち」と「うー」が私を見上げている。「今の時代なら、さやかは完全に発達障がいだ」 そのとおり! 私は筋金入りの変人である。ことに、仕事でもどこにでも、この二羽の小鳥を連れ歩くのが、この私なのである。

現在の私への診断名は、「不安障がい」と「うつ」。家人には、この特徴的な小鳥たちを世話できる者が私以外にいないということもある。けれど、それ以上に、私はこの小鳥たちの顔を見ていられさえすれば、ときに突然訪れる「不安」や常に苛み続ける「自己否定観」。衝動的に「死のうかな」と本気で思う気持ちを止めることができる。なぜなら、私はこの小鳥たちの母親だ。私はこの子らを、絶対に不幸にするわけにはいかない。

鳥かごをのぞき込むと、飲み水が汚れていた。占いの時間まで、しばらくある。トイレを借りて、二羽の小鳥の水を替えることにした。

窓際の木のベンチに戻るとすぐ、全身黒の細身のニットのワンピースの女性が、この日にお会いした占い師さんのブースに案内してくれた。
「何だか、もやもやするんです。このもやもやが何なのか。それを教えて欲しいのと、来年気をつけることを教えてください」 
そう言った私に全身ヒョウ柄のワンピースの、女優のように細くて綺麗な占い師さんがタロットカードを切った。仕事は絶好調。上り調子。何も問題なし。だが、その占い師さんから告げられた。

「来年、気をつけること」は、「がんの再発」だった。

私は2021年6月に、子宮腺肉腫という250万人に一人がなるという珍しいがんの宣告を受けた。「抗がん剤を受けても、8年以内に50%が亡くなる」と、医師から説明を受けていた。子宮・卵巣の全摘手術を受けて、抗がん剤を6クールした(詳しくは、『私、子宮がんやめました 抗がん剤、やってどうなる?』新評論をご覧ください)。だというのに。

再発。

抗がん剤の副作用は、すでに経験済みだ。だから、苦しいのも既知のことだし、髪がすべて抜けるのもガッテン、承知だ。

ただ、やっぱり私にはまだ、5年のうちに死ぬ可能性が50%も残っている。その現実がぐいと、私へと詰め寄ってきた気がした。

こわい、戸惑い。ああ、私はまたやっぱり、がんと向き合うのか。

「占いは、私にとって道標なんです。私は不安が過ぎるので、道標がないと歩いていけなくて」 丁寧にお礼を言って、私はその日の宿泊先に戻った。

私の常宿は、私のフィールドワーク地である山谷のホテルである。今回は、冒頭のジュンク堂池袋本展で行われている自身の本の写真展の視察と新聞取材。2023/10/27にブックトークをしたReadin' Writin' BOOKSTORE@田原町の写真展での在廊。さらに、千葉県八千代市のふくろうFMの番組、ハーモニー@世田谷のイベントに出演することが決まっていた。

活動の行動半径を考えて動きやすく、宿泊費がだんぜん安いのは山谷だった。ホテルは清潔な三畳間。ふかふかの布団。エアコン、冷蔵庫、Wi-Fi完備。大浴場付き。本当に、快適そのもので落ち着く。本当に大好きな場所である。

占いの次の日、私はたまった洗濯物をコインランドリーで洗濯していた。木製の踏み台に座った私の頭上で、洗濯物が乾燥機で回っているのが見えた。

ぐるぐるぐる。ぐるぐるぐる。

今までに私が書いてきた本のなかで一番好きなものは、たしかに『私、子宮がんやめました 抗がん剤、やってどうなる?』(新評論)である。人様にインタビューをしてまとめるのは、とても心を砕く。当然だが、気もバンバン、めい一杯に張りまくる。書いたあとでも、書けたことへの不安がずっと止まらない。それが責任を負うということだから、仕方がない。

けれど、『私、子宮がんやめました』については、自分のことだけを書いていた。誰にも気兼ねせずに、自由に書きたいことを書けたのだから、本当に書くこと自体を楽しんだ。抗がん剤は、とても苦しくて大変だったけれど。

がんで、死ぬわけなんてないと、根拠なく思っていたから。

術後、抗がん剤治療が終わり、今までもちゃんと定期診断を受けてきた。どこも悪くないと言われ続けて、はや二年半。「再発率90%」と言われていた二年という区切りを余裕で見送ったあと。私もう、再発しないかも。そう思っていた。

ただ、どんなに脂肪肝治療の薬を飲んでも、数値が変わらなかった。ああ私、食べ過ぎだもんね。当然、痩せないから、脂肪肝だって治らないよね。軽く、そう自分を見くびっていた。

しかし、最近、コレステロール値を医師から指摘されて、薬を飲んでいた母が血液検査を受けたところ、「何も問題ありません。健康そのものです」と医師に言われた。ああ良かったと思ったが、「あれ?」と思った。母が薬を飲み始めたのは、ついこの間からのはずだ。薬って、こんなに早く効果が出るもんなんだ。

あれ、でも私は? 私の脂肪肝には、なぜこんなに薬が効かないの?

ぐるぐると考えれば考えるほど、がんの再発はするのだ、ということが現実味を帯びてくる。どんどん、私の曖昧な恐怖が輪郭を得て、ぐいぐいと私に迫ってくる。

まだ、わからない。そうだ。これからどうなるかなんてわからないよ、誰にも。でも、一箱5万円する「キングアガリクス」のサプリが本箱の奥にあったはずだ。帰宅したら、毎日飲んでいこう。そんなことを考えながら、私は乾燥機のなかから、洗濯物を取り出した。まだずいぶんと濡れていた。

きっと、私のからだのどこかで、私のがん細胞もこんなふうに湿りきっているのかな。そんなことを考えながら、私は旅の洗濯物をハンガーにかけて、宿のベランダに干していった。


*この文章は、不定期に書いていきます。子宮がん再発の予兆を感じたら、次を書きます。


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