【ふしぎ旅】猫の野仏
福島県会津若松から栃木県日光今市へ向かう道中、国道121号、続に言われる会津西街道を行き、ちょうど福島県を抜けてすぐのあたり、独鈷沢と呼ばれる所、に「猫の野仏」という小さな案内板が、道の傍らに建っている。
案内板は、このようなことを伝えている。
天保六年(1835年)、当時の会津藩主が参勤交代で独鈷沢を通りかかった際に、藩主の乗った籠の前を一匹の猫が横切った。
近侍するものに「無礼者!」として、その場で猫は捕えられ、一刀のもとに仕留められてしまった。
江戸へ着いた藩主は原因不明の病にかかり、危篤状態が続いて、高熱にうなされていた。
江戸中の医師に見てもらっても病状を回復させられず、最後に祈祷師にみてもらうと「猫の祟り」だと言う。
すぐに国家老が直々に独鈷沢に向かい、名主の君島友吉の名前で供養塔「金花猫大明神」を建てて、ねんごろに弔ったろころ、猫の祟りは嘘のように消え、藩主の病は治ったという。
この後、供養塔は「猫の神様」として天の災いを除き、難病をも直す村の守護神となり村人の信仰の対象ともなった。
また旅人の参拝も多く、お供え物が絶えなかったと言う。
1835年の会津藩主を調べてみると、8代松平容敬とある。
それも、通常ならば参勤交代は会津藩は白河街道を使うのだが、彼の代だけは、珍しく会津西街道を使っているという。
ただし記録上は文政10年(1827年)と若干、記録よりは年代は古くなっており、また江戸からの帰りのみに利用というあたりが伝説とは異なってはいるが。
それにしても、ある程度、話があっていることから考えて、参勤交代にからんだ、何かしらのイザコザがあって、その供養か、何かで、この碑は建てられたのだろうか。
時代は幕末に向かい、様々な騒動があった時代である。
そんな不安な中での、参勤交代での大騒ぎ。会津藩の侍たち、街道沿いの民衆、どちらも緊張していたことだろう。そんな中、猫一匹でも、騒ぎを大きくするのには十分であったろう。
さて、碑に書かれた「金花猫大明神」であるが、金華猫のことであろうか。
中国の金華地方の猫の妖怪で、人に化け、魅了すると言われている。
また、その肉を焼いて食べると病気が治るとの伝説もあるので、案外と、殿様の病気を治すために、猫の話を持ち出したのかもしれない。
碑の方には猫の絵が描かれているが、尾が二尾ある、いわゆる猫又である。
金花猫と共に明らかに猫の妖怪を祀っており、ここ最近の妖怪ブームで、もっと話題になってもよいのではと思うところではある。
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