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【ふしぎ旅】田螺不動
新潟県新発田市に伝わる話である。
菅谷の諸法山菅谷寺は、日本三大不動の一つと言われ、広くその名が知られている。
この寺は源頼朝の叔父、護念上人が開基したもので、本尊の不動明王は三千年前、インドのピシュカツマという人が香木で刻んだという立派なものである。
桓武天皇の御代、伝教大師が唐に留学したとき持ち帰り、比叡山に安置してあったが、平治の乱で都や比叡山も危険になったので菅谷に移されたのだという。
ところが承久3年(1221年)5月、天皇方を指示していた同寺が、北条朝時の大群に攻められ、七堂伽藍をはじめ僧坊など、ことごとく焼き払われてしまった。
その時、近くの田圃にいた田螺が全部かけ付け、本尊様に吸い付いて兵火から守ったという。
それから、この不動尊像を「田螺不動さま」と呼ぶようになった。
こうした故事にならって、今でも参詣する人は必ず田螺を持っていき、仏前に供えたあと、境内の小さい池に放していく。
このため、池の中には、何万、何十万という田螺が身動きも出来ないほど重なりあって住んでいる。
また本堂左側のおこもり堂には、眼病の人が二十一日間こもって平癒祈願をしたというが、医学の進歩した現在では、こもる人はなくなった。
護念上人の墓は、本堂の西方、小高い山の上に雑木林におおわれ、ひっそりと苔むしている。
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菅谷不動は、現在でも多くの人が参拝に訪れている。
場所としては、かなり田舎にあり、周囲には小さな集落と田畑があるだけだが、そこに立派な寺があるのでビックリする。
寺の本堂まで、弁天堂、地蔵堂などいくつもの堂を過ぎ、垢離場には小さな不動明王が祀られている。
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伝説にある本尊は、数年に1度の御開帳となっており普段は見ることが出来ない。
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それが理由なのか現在では、みたらせの滝のところにあるお不動様に多くの人が参拝している。
滝下に不動明王がおるが、数メートルの滝つぼをあけて、水をかけると願がかなうらしい。
意外と力とタイミングが必要で、なかなかに成功するひとは少ないようだ。
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かつては、この滝つぼに田螺を奉納したと言う。目視では確認することは出来なかったが、確かにいることはいるらしい。
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おこもり堂に籠る人はいなくなったが、まだ昔ながらの人が、眼病予防にと、ここで目を洗ったりここの水を汲んでいく人もいるという。
何かしらの、効能がある成分が含まれているかもしれないが、そこまで検査したとの報告は見つからなかった。
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それにしても、火事の被害から救う仏像、石仏の話は多くあるが、本尊を護る田螺というのが、いかにも、農村にあるお寺の話で面白い。
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