浪費としての娯楽
先日、とあるビジネス本を読んでいると、「読書で自分が成長した、変われたというものがなければ、それは自分への投資ではなく、浪費としての読書だ」という表現があった。
うん、なるほど、この「浪費としての読書」という表現。
すごく、上手いと思う。
読書とは、自分の生活を豊かにしたり、自分を高めたりすることが目的ではない。「人生という大切なひと時を、浪費する、最高に贅沢な娯楽である」ということをピタリと言い当てている。
「浪費としての読書」
「浪費としての音楽」
「浪費としての映画」
最高ではないか!
「人生は暇つぶし」とは、大いに語られることであるが、別にそこまででなくても、自分の時間や自分の生活を浪費できるとは、人間として最高に贅沢なことであると思っている。
いわば、私たちは何かを浪費するために、日々生きていると思ってもよい。
だから、どうせ無駄遣いするならば、誰かのためによりは、自分のために無駄遣いしたほうが、絶対に楽しい。心からそう思う。
(ここまでで10分)
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