宮崎駿の最新作はラジカルアクセプタンスをテーマに?精神科医の考察
このブログの著者は、精神科医でありながらVR映像にも携わっています。
「君たちはどう生きるか」のストーリーは一部が理解しずらかったものの、
作り手が伝えたかったメッセージがとても強く感じられたので、それについて解説してみたいと思います。
(ネタバレは最小限に留めます。)
まず、作品の大きなメッセージ「おれの生き様を見ろ!」ということ。
1)「引退宣言」しても「引退宣言撤回」したり、
2)多大な資金を必要であれば「(日本を除く)Netflixでスタジオジブリを見えるように」したり。
「自分の生きたいように生きればいい」し、ポリシーがあっても、それもまた変わってもいいしということを表現しているのかなと。
次の中程度のメッセージとしては、
「変えられないものは何か」
「変えられるものは何か」ということ。
精神療法を考えても「変えられるもの」は変えて、「変えられないもの」は受け入れることが大切だと指摘されていますが、その境界線を見極めることは難しいです。
宮崎駿さんは、人生経験を重ねて、過去の自分をふりかえった時に、
思い込みで「変えられない」と思っていることが、案外、ノーと言えばいいだけだったなどと、実はあっさり「変えられる」こともある。
また、「変えられない」「変えたくない」と考えていることでも、「過去に受け入れておけば、時間をかけて変われることができた」ということに気づき伝えたかったのかなと。
「変えられないもの」「受け入れ難いこと」でも、「受け入れないと、前に進めないのであれば受け入れるといい」という考えに「ラジカルアクセプタンス」という考え方があります。
それは「自分のコントロール外の出来事を評価なしに受け入れ、前に進むことを意味します。
作品では
1)(「変えられない」から)「受け入れる」ものとして、「戦争が起きた、戦争で負けた」「好きだった人が亡くなった」「知らない人が新しいお母さんになる」といったものがあります。
2)「変えられる」ものとして、「血が繋がっているから引き継ぐべき仕事は断ることができる」「孤独ではなく、友達や仲間とともに生きていくことができる」「善意も悪意もある世界を生き抜く」といったものがあります。
また宮崎駿さんからの個人的なメッセージとしては、
1)「血のつながり」にこだわらなくてもいい、
2)新しいお母さんを受け入れたくなくても、「お母さん」と言ってあげるとよろこび受け入れることの大切さ、
3)友達と仲間の価値、
4)善悪が別れた綺麗な世界なんてないし、悪がまざった善でも自分が選んだことをすれば良い
5)鳥は恐竜が進化した(飛び方が恐竜)
なのかなって思いました。
ラジカルアクセプタンスや死と喪失にどう対応するかというテーマは、精神療法でも重要なテーマとして扱われる普遍的な問いです。
このようなテーマが劇中を流れていると感じられ、素敵な作品だなと思いました。
このブログも多くの人が読んでいただけましたら嬉しいです。