実の母に「死んでもいいよ」という時どんな気持ちだったのだろうか?!
こんにちは、サカモトです。
さて、最近は岸田奈美さんの「家族だから愛したんじゃなく、愛したのが家族だった」を原作とした同名のドラマを見ている。毎週日曜夜10時から全10話である。
原作はこちらである。
このnoteを読んでいる人はご存知だろうが、読んですっかり打ちのめされたのがこの本である。なんというか、あまりの文章のうまさ、生き生きとした文章に、自分はマネできないと感じ、自分との文章力の違いに打ちのめされてしまったのだ。
第一話から驚いた
この本は実話に基づいた話で、子供の頃と現代とを行ったり来たりしながら、作者である岸田奈美さんの家族とのエピソードの話が書いてある。一つ一つの話が岸田奈美さんの文章に書いてあって、どれも印象深いのである。
この印象深いエピソードがどのように映像化するのだろうかと興味深くドラマは見ているのである。少しずつ、後から放送を見ているわけだが、一話からいきなり驚いた。
原作の中で印象に残るエピソードがいくつかある。その印象に残るエピソードの中で、トップオブトップと言える、赤べこの話と父の死の話と母の大手術の話が全部第一話の中に詰め込まれているのである。
なんとなくであるが、これらの話は全十話の中で、少しずつ展開していくものと思っていたのである。それがなんと、自分の中で最も印象に残った話が第一話から展開されたのである。これを驚かずして何に驚けばいいのかという話である。
ちなみに、原作はnoteに連載していたものを元に編集されているので、原作の話はnoteでほとんど読めるようになっている。その3つのエピソードの部分もnoteで読めるので紹介するが、どれも驚きである。
赤べこの話は、なんと約29,000スキである(2023年6月4日現在)。
父の葬式のエピソードはこちら、やっぱり2,200スキ。。。
そして、母の手術の話がこちら、こちらも6255スキである。
第二話
ちなみに、第一話は手術までの話である。第二話が昨日見たのだが(本日6月4日に第四話が放送されるので、ちょっと遅れすぎともいう)、この記事の後半が展開されるのである。
6時間にも及ぶ大手術の後、母は一命を取り留めるも下半身が動かなくなり、車椅子での生活を余儀なくされるのである。そんな時に奈美さんが母を元気づけようと二人だけで街歩きを計画する。しかし、街中の段差の多さや人混みの中で車椅子で進むことの大変さを味わうのである。
ヘトヘトになりながら、なんとか入ったお昼のパスタの店で、母から衝撃の言葉をもらう。それが「死にたい」である。それに対して奈美さんが返した一言が「死にたいなら死んでもいいよ」である。
このくだりが第二話では展開されるのである。奈美さんの文章には家族への愛が溢れている。とても死んでもいいよなんて本心ではないことは分かります。
でも、母が苦しんでいることに対して、おいそれと簡単に言葉を返せず、熟慮の末にこの言葉選ぶのです。
この「死にたいなら死んでもいいよ」と言う一言を発した時の奈美さんの気持ちを考え、この一節を読む時は涙無くしては読めません。
しかし、実の娘から「死んでもいいよ」と言う一言をもらって逆に冷静になったというから結果からいうとこの一言は正解だったと言える。しかし、悲しい、、、
なぜ死にたいと思ったのか
車椅子生活を余儀なくされて、今まで通りの生活を送れないことに対しての絶望の気持ち、
街がバリアフリーになっていなくて行きたい店に入れないこと、
人混みの中で車椅子で行くことに対して、「すみません」と謝りながら通らなければいけないことなど、
バリアがいっぱいな日本の社会が原因で、母に死にたいと思わせたのだと言える。なんとかバリアのない社会にできないものかと思ってしまう。なんとかしたいと感じる。
WHeeLog!では車椅子の街歩きイベントを実施してます
話が変わるが、自分が関わっているWheeLog!では、時々車椅子での街歩きイベントを実施している。施設の中での車椅子体験イベントはあるが、街中を実際に車椅子で歩くイベントは中々ない。
実際に車椅子で街中を歩いてみると、いかにバリアが多いことか実感します。こういう視点を多くの人が持てば世の中変わるのではないかと思っています。
今度の6月10日の土曜日に川崎で街歩きイベントが開催されます。もしよければ参加してみてはいかがでしょうか。
以上、最後は宣伝でした!