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"ならでは"のアイデンティティを投げ捨てて

自分"ならでは"だとか、新商品"ならでは"にこだわり過ぎない方が楽な気持ちになれるけど、完全に無視はできないから難しいよね、というお話。

ならではの呪縛に囚われる僕たち

お仕事に目を回しております。
仕事の一つに開発系があるのです。新製品の案を出すと、大体こんな改善案が出てきます。

「このサービスならではの特徴を全面に出したい」
「もっと差別化できる要素を目立たせたい」

分かる。分かるよ。でも、そこにこだわり過ぎると大抵、ろくな事にならないんだ。
これは商品やサービスだけじゃない。自分ならではって何なんだ!とアイデンティティの危機を迎えておしまいになりそうな方々にも同じことが言えると思うのです。
そんな「ならでは」の呪縛からもっと解き放たれてもよいのではないか、というお話です。

ナンバーワンにならなくていいけど、オンリーワンなんてもっと無理ー!

"ならでは"は確かに強力だが…

小難しい言い回しをすると、非代替可能性なんていう表現になるのでしょうか。"ならでは"要素があると、「これじゃないとダメ」とか、「これである意味」が持たせられるということになるのです。

一言で分かる強みをPRできる。これが"ならでは"の良さです。

例えば、「漁港ならではの新鮮な魚介類!」とか、「VR機器ならではの災害体験・防災教育!」とか。
「ならでは」があると、セールスポイントが分かりやすいのです。だからこそ、商品開発の場面でいつも聞くワードになっているわけです。

就活においても、「君だけの強みを教えてください」みたいな質問があるわけで。僕じゃないと駄目な理由があればそりゃアピールしやすい。

君だけの強み、経験、雰囲気、作風、絵柄などなどなど……。
確かにあれば強い。でも、そこに囚われると良くないところもあるのです。

"ならでは"中心が良くない理由

目的を見失いがち

プラズマクラスター付き冷蔵庫とか。
ならではの呪縛の終着点があれなんじゃないかと思います。独自性を追求しすぎて、本来の目的どこいった?ってなるやつ。

新規ゲームハードと同時発売ソフトにありがちなやつで、「○○ならではの操作で新しい体験も可能!」と聞いて、どう思うでしょうか。
ああ、微妙なやつねと思う方が結構多いのではないでしょうか。新規要素を使わせることが目的になってませんか!ってなるので大体こうなるかと。

王道から外れがち

非代替可能性の対義語は何かというと、互換性とか普遍性とか、そういうことになるわけです。

普遍的でなければないほど、「好きな人は好きだよね~」っていう作風に寄ってしまうわけです。趣味の世界ではいいかもしれないけれど、商業的にはちょっと困る。

世界に本当にオンリーワンな人がいたとしたら、例えば超マニアックな研究の第一人者とか、身体的に金メダル級の超人だとか、自分だけの世界の真理に到達してしまった人とか、そんな感じに多分、一般人とはろくに会話にならない領域になってしまいそうな気がするのです。

細部に宿る良さが軽視されがち

独自性を全面的に出そうとして、そっちに労力が割かれると犠牲になるのは大体これ。でもこれ、すっごい大事だと思うんです。

例えば昔、あるブラウザのメジャーアップデートがありまして。フォントとかデザインに超こだわって美しくなりました!っていうのが全面に押し出されていたんです。その代わり、使い勝手の良かった機能や動作が変わっていて、すごいテンション下がったのです。

細部の良さって分かりやすくPRしにくいんです。でも、それこそが使用感そのものだったりするわけです。

アイデンティティの薄い普通人間がいたとして、でも平均より話しやすいし、仕事もこなせるし、幅広いこと知ってるし、家庭も良好で……って人がいたとします。それってかなりすごい人じゃないですか? でも、こういうハイスタンダードなタイプだと面接でアピールしにくいみたいな感じ。

ちょっとした色んなとこが良いよって人やモノって、もっと評価されていいと思うのです。

"ならでは"は細部に宿る

そうはいっても、"ならでは"を完全に無視っていうのはやっぱり厳しいようには思うのです。新規商品において広報は当然のごとく大事で、一言で分かる強みってなんなのよっていうのが伝わらなければやっぱりキツイ。

とはいえ、次のような例、どこか間違った方向に進んでいるように思えないでしょうか。

  • 叙述トリックは小説ならではの技法だ。他コンテンツと差別化するため、うちの小説には今後、叙述トリックを漏れなく入れていこう!

  • Vtuberは3D空間で動き回れるのが特徴だ。瞬時に様々な世界に訪れる旅行人キャラならVtuberならではの強みを活かせる!

  • 5Gの低遅延環境なら、遠隔地でセッションできる! うちのスマホはミュージシャンをターゲットにしてアプリを充実させるぞ!

うーん、こけそ~! でも開発の現場ってこういうの本当にあるあるなんですよね。

小説なら叙述トリックは一つの良さに過ぎなくて、あのシーンがよかった、このキャラクターが強烈だったとか、もっとミクロに見ていると思うのです。Vtuberなんてそんな特徴とか見てなくて、扱うコンテンツとか本人の話が面白いかとかせいぜいそういうので9割決まるような所感です。

結果的に特徴になっている部分というのはあるかもしれませんが、個々人を惹き付ける魅力というのは具体的で細かいところに宿っているのではないかと思います。

代替可能人間でよいのだ

ということで、やれ個性だ多様性だってのが重視される風潮ではありますが、誰かの替えが効く人というのは、別にそれでよいのではないかと思います。そういう一言で表せないところに良さというものがあるような気がしてなりません。

仮に、全然"ならでは"が無かったとしても。それって、他の人と同じようにコミュニケーションできて円滑な人かもしれません。業務内容をうまく整理した結果、属人性を低くしているのかもしれません。尖った作風ではないけれど、普遍的で親しまれやすい良さにあふれているかもしれません。

なんなら、上記のように尖りなく普通に接することができる人って、意外と貴重である意味替えが効かない存在になっているんじゃないかなーと思いました。

"ならでは"に縛られる必要はないのだ。

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