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生き物のモノサシ

 先日、新幹線で東京と名古屋に行く機会がありました。

 都会のビル群や行き交う車・人を眺めると"アリの巣観察キット"を思い出します。透明なプラスチックケースにアリを入れると、巣を作って、生命の営みが見れるという物です。

 空を砂に見立てて、そこに向かって建つ大中小様々な建物はさながらアリの巣に見えて来ます。その下で人々が行き交う様はさながら働きアリです。

 アリの巣は"コロニー"と呼ばれます。人類に置いてコロニーを見立てると、街一つが該当しますが、マクロ的に見ると、1世帯もコロニーと言えます。世帯コロニーの集合体が街と言うコロニーになるという見方が出来ます。

 各々がそれぞれのコロニーを持っており、そこでの生活を送るために働きアリになるのが人間という生き物です。

 しかし、アリと人間では繁殖力が違います。アリは種類にもよりますが、一生に10万個の卵を産みます。人間の場合は特殊出生率という数値になり、2023年は1.20人が平均となりました。参考元は下記サイトになります。


『一体この人はアリと人間を比べて何が言いたいんだ』と、今読んでいる方に思われている頃でしょう。

 生物と言うのは『種(種族)を残す』のが目的です。その数が多ければ多いほど、その種族は残しやすく、外敵から攻撃を受けた場合も、種の存続が容易と言えます。マンボウやネズミのような外的要因に弱い又は天敵が多い生物は1度の出産で大量の子孫を産むのが良い例です。

 人間の場合は、他の生物と違って、複雑な文化形成や多様な価値観の上に成り立った生態ではあるものの、その社会を維持していく上では、やはり生物としての基本理念からは逃れられません。そして、人間は無性生殖ではなく雄と雌の有性生殖をする生き物です。従って、特殊出生率1.20という数値は生物の基本理念からは、遠い数値と言えます。1世帯あたり3人の子供が居なければ、人間と言う種の存続が困難と考えられないでしょうか。あくまでもこれは人間を”生物”と見た話であり、昨今の多種多様な性の価値観を否定するつもりはありません。また、人間は”金銭”という社会の基本ともいえる文化がありますから、様々な要因でこの特殊出生率になったと言えます。重ねて私はそれらを否定するつもりはありません。私自身もパートナーと3年間一つ屋根の下で暮らしていますが子供は居ません。それは、金銭的な問題や双方の性格を考えた末での選択です。


 東京、名古屋での用事を終え、新幹線で岩手県へと戻ります。

 新幹線の車窓は名古屋⇔東京間は比較的都会が多く見えましたが、東京⇒岩手はその多くが山間部或いは田園風景を見る事になります。ビル群をアリの巣に例えましたが、地方の場合はどうでしょう。都市と言えど、高いビルは無く、ポツンポツンと集落や家の明かりが遠くに見えるばかりです。これをそのままアリで例えたら、コロニーの規模の小ささや"働きアリ"の少なさに外敵が現れたらすぐに滅ぼされてしまいそうだなと感じました。


 アリの場合は環境によって、生態が異なります。日本では土の中に巣を作る種類がポピュラーですが、世界に目を向けると植物に巣を作ったり、土を積み上げたアリ塚というのをコロニーとする種類があります。また、種類によっては女王アリが複数存在したり、その女王アリが産む卵の数も異なります。全ては外敵や天候などによる不利益を回避するため、種族の存続の為に進化したのです。

 人間の場合は、地球どこを見て回っても基本的には人間の生態です。肌の色が違う、食べ物が違うといった事はあっても、余程特殊な文化圏で無い限りは、家というコロニーに世帯という単位で人間が住んでいます。地中や木の空洞に家を作るという国は、私の知る限りはありません。女性の一度の出産でも、一般的には1人の子供が産まれます。珍しくて双子或いは三つ子、四つ子以上になってしまうとビックリ人間の域に入ります。

 人間が一度の出産で1人或いは2人程度に収まるのは、人間と言う生き物が食物連鎖の頂点、つまりは外敵が存在しないからです。従って、本来は人間は種族の存続が容易な生物と言えます。しかし、先ほども書いた通り、日本の特殊出生率は1.20と、将来的な種族の存続が困難な数値と言えます。そして、この数値は地方が足を引っ張っているという訳ではなく、東京や名古屋と言った都市圏でも出生率は低下しているのです。


 "地方創生"や"少子高齢化"という問題が叫ばれてから久しくなりました。

 新幹線の車窓から見える都市と地方の風景をアリの生態と比較しながら、人間という種族の存続を"生物として"というモノサシで考えてみます。

 特殊出生率の低下の原因は、金銭的な問題、考え方の問題と多種多様です。しかし、どれも人間という生物が培った社会形成や文化が生み出したのは事実です。極端に言えば"自分で自分の種族の存続を困難にしている"と言う事になるのです。何度も書きますが、私は子供を産まないという"考え方"を否定はしません。従って、金銭的な問題による出生率の低下にフォーカスします。

 電気代、ガソリン代、食費と言った生きる上で必要な生活費は軒並みに上がりしました。子供が産まれれば、育児や学費と言ったコストも必要になります。子供1人が大学を卒業するまでに必要なお金は2000万前後と言われています。そのコストが人間と言う種族の継続を困難にしているとも考えられます。言ってしまえば人間の外敵は"金銭"という文化です。

 この現状を打破するには、例えば子供一人当たり数千万円の給付が必要と言えないでしょうか。人間と存続以前に、集落そのものの維持が困難であれば、限界集落の住民を一つのエリアに集約させて、例えるならアリ塚のようなコロニーを作るというのも選択肢の一つになり得ます。インフラや各種サービスの集約化・効率化も可能です。

 もちろん、財源や土地への愛着をどうするかと言う問題が障壁となります。しかし、人間をアリやその他の生物と同類の"生き物"というモノサシで測ると、地中や木に巣を作ったり1度の出産で10人の子供を産むような生態になり得ないのであれば、最早問題の根底を全てひっくり返すような制度が必要だと考えてしまうのです。


 "人として"という人間独自の価値観のモノサシがあります。しかし、この"人として"というモノサシは"生物として"というモノサシの前には、比べるのも烏滸がましいと感じる時があります。

 世界中で様々かつ複雑な社会問題が今起きています。何も出生だけの話ではありません。

 "人として"という考えでは無く、"生物として"という途方もない規模のモノサシで物事を見ると新しい解決の切り口が見出せるような気がしませんか?

 "生き物"の目的は何か、答えはシンプルです。

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