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結果として理想と真逆の相手と出会って4日で同棲した結果

タイトル長っ‼︎

 でもこうとしか題を書けません…。

 ……さて、皆さんがパートナーに求めるものは何でしょうか?

 容姿?収入?仕事の安定性?将来性?甲斐性?人それぞれですね。

 25歳から30歳手前までの私は、仕事の忙しさを理由に会社と自宅を往復するだけの日々と、同級生たちの結婚&出産ラッシュ危機感を感じ、ほぼ毎週末婚活パーティに通っていました。
 婚活パーティでは、相手に対する条件、例えば年齢や年収、或いは職業などを希望する事が出来ました。私は職種は問いませんが、年齢は私と同じか年上で、定職に就いている尚且つ私とほぼ同等の年収の方を希望してパーティに参加し続けていたのです。

 そんな私は今、出会って4日で同棲を始めたパートナーと3年弱暮らしています。私もパートナーもお互い初めての同棲です。パートナーの年齢は私より6つ年下で、生まれも育ちも大都会です。ほとんど岩手県から出る事なく暮らしてきた私とは正反対の人です。

 3年弱の同棲生活での様々な紆余曲折を経て、パートナーは今フリーランス(末端絵描き)です

 ここまで読んだ方は『おや?』と思った事でしょう。

 私は婚活パーティでは定職に就いていて、私と同等の年収の方をお相手の条件としていました。フリーランスで年下では当時の私の婚活におけるパートナーに求める条件とは対極と言っても過言ではありません。

 どうして対極の相手と一緒になったのでしょうか。そして、この生活で私はどう変わったでしょうか。この記事はそう言う話です。


 パートナーとの出会いのきっかけはインターネット上における共通の“推し活”です。

 同じ推しのコミュニティでやり取りをしている内に仲良くなり、SNSを通じて個人的なメッセージのやり取りをするようになりました。そんな中で、私が冗談半分で『岩手に来る?』と言ったところ本当にやって来たのが出会いのきっかけです。

 4日間、岩手県中を私は観光に連れて行きました。パートナーが食べた事の無いようなものを食べさせて、見たことの無いであろう景色を見せました。海すら間近で見た事の無かったパートナーに驚きを隠せ無かった事を覚えています。出会って最初の4日間の事を私の当時の日記には"他人が半年或いは1年をかけて歩み寄るであろう個人個人としての距離感を4日間で私達は2人のものにした"と書かれています。陳腐ですが愛し合ったという表現しか当てはまらない期間を過ごした事は間違いないでしょう。

 その4日間の後、パートナーの母親へ私は挨拶に行き、快諾とまでは言えませんが了承をいただき、お互い初の同棲生活を始めたのです。

 余談ですが、会うまでお互いにテレビ通話などで顔を見せる事はありませんでした。今だからこそ言える事ですが、ルックスや言動が好みでは無かったら、早く帰そう(帰ろう)とお互いに思っていたようです。

 向こうも私の親からも、あまりに激情的な同棲生活のスタートに、すぐ別れるだろうと思っていたと後々に明かされました。


 “同棲”と言うと一般的には、ある程度2人の性格や言動を理解してから始めるものです。

 私たちはお互いを4日間分しか知らない事が逆に功を奏したのか、少しずつ距離を詰めていくような同棲生活の始まりでした。

 平日は私は仕事で家を空けますから、パートナーが家事全般をしていました。一方で仕事も辞めて単身大都会から田舎にやって来たパートナーに私は、これ以上の負担はかけたくない一心で、休日は家事を率先してやったり、生活費を出したり、色々な場所に連れて行ったり、或いは行きたいと言われた場所に車を飛ばしました。

 30年弱私は岩手県で過ごして来ました。しかし、パートナーと暮らしてから私も知らない岩手県の観光スポットやイベントを知る事が出来たのです。

 最初の頃こそ、お互い良いように見せようとする生活でしたが、次第その良いようにが自分たちの当たり前の姿となり、同棲生活が3年弱となった今でも、家事に関しては明確な分担性にはせず気づいた方がやる無理はさせないの精神で助け合いの日々を過ごしています。

 特に私の中で著しく変化したなと思うのは食事に関してです。今でも私は食に関しては、食べられれば良いと、こだわりは無いのですが、一人暮らしのの頃は余計に酷く"同じ米なら"という考えのもと、夕飯は日本酒1合だけとか、ポップコーンが近所のスーパーで安売りされていた時は、それを段ボールで買い主食にしたりと、荒みに荒み切った食生活でした。
 それが同棲生活では"せっかくなら"と、凝った料理を作るようになりました。

 この"せっかくなら"というのが同棲生活において私が大事にしている部分のようです。

 せっかくなら良い料理を、せっかくなら綺麗に洗濯物を畳もう、せっかくなら遠くに出かけよう、せっかくならお互いやった事が無い事をしよう。押し付けと言われてしまえばそれまでですが、お互いを良いように見せようと思っていた同棲生活のスタートが、せっかくなら良い事をしように変化して、毎日毎週末が新鮮な事だらけになりました。


 パートナーの夢は漫画家です。

 出会った時からその夢はパートナーから語られていましたが、私もパートナーもそれがどんなに険しくて狭き門かは理解していました。従って、パートナーは同棲生活をスタートした頃は、クリーニング店や工場でアルバイトをして、その空いた時間でイラストを描いて生活費を稼いでいました。しかし、どこの職場でもパートナーは人間関係で精神的に追い詰められてしまい退職してしまうのです。

 私はパートナーが仕事を辞めたいという考えは理解出来ませんでした。なぜなら私は仕事というのは嫌な事だけで構築されているという考えを持っており、人間関係・仕事内容で病んでしまうというのは当たり前だからと思っていたからです。それに、仕事を失うと普通の人生から道を踏み外す事になるように当時の私は思っていたのもありました。恐らく、まだこの頃の私はパートナーに婚活のお相手条件の域に居て欲しかったという事でしょう。

 私なりに、家事を率先して行ったりして何とかパートナーを支えようとしました。しかし、日に日に衰弱していくパートナーに私が根負けする形で、退職をするように促したのです。

 この仕事を辞める辞めない問題は、私とパートナーは同棲生活で別れの危機に陥る程の出来事でもありました。

 その直後、失業手当の申請や諸々の手続きをして、パートナーが職業安定所に通っているとハローワーク主催のグラフィックデザイナー学科を受講したいと言いました。

 この頃のパートナーはイラストをすっかり描かなくなってしまった程度に精神的に参っていましたので、向こうからのグラフィックデザイナー学科を受講したいという提案に私はワクワクした事を覚えています。さらに、このようなハローワーク主催の講習はグラフィックデザインのみならず、同じ企業で勤続10年の私ですら退職して受講してみたいなと思ってしまうような様々なコースがあると知りました。パートナーと出会わずに生きていたら知る由も無い事です。

 それに、私も元々カーデザイナーになりたいと言う夢がありましたが、色々思う事があって諦めた身です。パートナーから目を輝かせてグラフィックデザイン学科を受講したいと言われてしまうと、私のあったかも知れない人生を感じてしまったのです。それを取り戻す為に一緒に夢を追いかけたいと私は思い、受講料・通学費用全てを肩代わりしてパートナーに“グラフィックデザイン学科”に通ってもらう事にしたのです。

 3ヶ月間学校に通いましたが、残念な事に岩手県にはデザインだけの求人というのは無く、それが結果としてパートナーがフリーランスという道を選ぶ決め手にもなりました。


 今だからこそ言えますが、私がパートナーと最初の4日間を過ごしたのは、ルックスや言動が想像を上回ったからです。

 そんな人が、海もしっかりと見た事が無い、連れていく先々で感動してくれると、こっちも楽しくなって来ます。

 一緒に居てワクワクしました。どんな毎日をこの人は私に見せてくれるのだろうかと。

 なにより、その後も一緒に過ごそうと思えたのは、パートナーの漫画家という夢があったからです。私は夢を諦めた人間です。きっと、どこかで夢を叶えられたかも知れない世界線もあったのかも知れませんし、今からでも遅く無いのかも知れませんが、私は一般会社員としての人生を歩むと決めました。しかし、私はパートナーの漫画家という夢を叶えたいのです。フリーランスになってからの月収は、0〜5万円程で順調な滑り出しとは言えません。しかし、夢を追いかけるというのは自分の事では無くてもワクワクしますし、それが愛する人であれば尚更応援したくなります。

 開業届の出し方、仕事の拡げ方などなど、パートナーと一緒に調べながら確実にフリーランスへの道を着実に二人三脚で日々ゆっくりと歩んでいます。どれも会社員として生きてきた私は知る由も無かったであろう事ばかりです。何より、パートナーが悩み抜いて描いたイラストが微々たる収入でも誰かに受け入れられている姿を見ると、私は私の中の密かなワクワクが止まらなくなるのです。

 婚活パーティに参加していた時の年上で私と同等の収入のある定職に就いている人と一緒になって居たのであれば、このワクワクの体験は得られなかったと言えるでしょう。

 生活の“安定感”は失ったと言えます。

 しかし、一度きりの人生です。そういう想像出来ない未来があった方がワクワクすると思いませんか?

 想像していなかった未来を今の私は過ごしています。毎日があまりに不確定で、楽しくて仕方がありません。

 それはパートナーも一緒だと思います。想像出来ない未来の今というを過ごしたその先は何なのか、私は楽しみで仕方が無いのです。

 初めての同棲生活は、私が描いていた相手とは全く違う人とスタートしました。それは思いやりとワクワクの毎日を私にもたらしてくれました。そして紆余曲折を経て(とは言ったものの明確な対立は1度だけ…)パートナーはフリーランスという道を歩む事になりました。

 堅実に生きれば良かったと泣く将来かも知れませんし、パートナーの背中を押して良かったと心から思う日が来るかもかも知れません。

 これは数年前の私が"想像していなかった未来"です。そしてこの"想像していなかった未来"はこの先も続くのです。

 思いの丈を詰め込んで長くなった、この半ノロケ記事をようやく閉じようと思います。いつかnoteでこの日の未来をお話し出来る日が来れば良いなと思いながら………

#想像していなかった未来

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