交通事故の加害者と間違われた話
私と一緒に住んでいるパートナーは定期的に病院に通っています。
パートナーは運転免許を持っていないので、私が車で送り迎えをするのですが、事件はその場面で起こりました。
パートナーが通っている病院というのは新幹線も止まる大きな駅の近くにあります。ちょうど病院の向かいの路肩が広くなって、車寄せになっている部分があるので、下車する間だけそこに自分の車を停めて毎回パートナーを見送っていました。
その日は他の車が先に停まっていたので、普段とは少しだけ違う場所に停車させたのですが、その停車位置が悪かったのでしょう。
パートナーが下車した次の瞬間に路肩との段差のブロックにつまづいて転倒しまいました。
転び方が悪かったのか、路肩のブロックの角にスネを強打してしまったようで、路肩と車の間に挟まるように、蹲るような姿勢になってしまったのです。
急いで私は車を降りて、パートナーを介抱しに向かいました。
察しの良い方はもう分かると思います。
ハザードを焚いて停車する車
車の脇で動けなくなっている人
『大丈夫?』と介抱する人
この絵面は誰がどう見ても"交通事故"・"人身事故"です。さらに"駅前"という人の往来の多い場所というのが事態に拍車を掛けてしまいました。
パートナーの腕を抱き抱えて、介抱してふと目の前を見ると少し遠くからコチラを眺める人だかりが既に出来上がっていたのです。
パートナーは打ち所が悪いのか歩道に座り込んでしまいましたし、私は『大丈夫?』と声を掛けるしか出来ません。
あれよあれよと、群衆の視線を浴びて遂には『警察呼びますか?』
なんて声を掛けてくださる正義感に溢れた青年まで現れ出す始末です。どちらかと言ったら救急車です。というか目の前が病院です。
私がいくら
『いや、車から降りたら転んじゃって…』
と、説明してもこれまた第三者から見れば"事故にしたくないから良いように取り繕っている人"にしか見えない訳です。青年は私の話に聞く耳を傾けるのを止めてしまい、パートナーに話しかけ始める始末です。
パートナーもようやく顔を起こして目の前の群衆を目の当たりにして、事態を察してくれました。そして、必死に話しかけてくれた好青年の顔を見るや否や
『本当に転んだんです!!ごめんなさい!』
と、半ベソで叫びました。
それを聞いた青年は、私にペコリと頭を下げてその場を去りました。彼が去ると同時にさっきまでいた周りの人だかりも散り散りになって行ったのです。
最後は私は病院内までパートナーを介抱しながら入り、すぐそばで転倒した旨を伝えました。結果は擦り傷と打撲でシップを処方していただきました。
転倒現場に最後までいた方々は
『人が車に轢かれたのかと思ったら転んだだけだった』
と、些細な話題の種にも出来ます。しかし、あの場面のあの場所を通りすがっただけの不特定多数の方々にはきっと
『今日、人身事故を見たよ』としかならないんだろうなと思います。
まして私の自家用車は少し珍しいので目立ちます。"考えすぎ"とか"被害妄想"な気もしますが
『あの車はこの間人を轢いたよ』
と、思われるのも癪ですが、今更どうしようもありません。
パートナーに大事が無かった事が不幸中の幸い幸いです。
"人の噂は七十五日" という言葉があります。
しばらくは少しだけ他人の目と、停車位置に気を配りながら生活を続けていかなければならなさそうです。
そして、それは日常生活でも一緒で一瞬見かけたワンシーンだけで決めつけたりするのは良く無いなとも気付かせてくれた出来事なのでした。