ガチギレデス女:MADがMAXなSAGA
俺がわざわざ公開初日に観に行くということは、まぁそういうことである。要はこのシリーズがけっこう好きだということだ。
俺のマッドマックス遍歴はガチギレデスロードを皮切りに過去作を漁り始めたという流れだ(やはり一番好きなのは王道のデスロード。方々でも言われているが、数十年越しの新作が大傑作だという珍しいパターンだ。常にリブートが失敗し続けているターミネーターはどこで差がついたのかと思わずにはいられない。ちなみに次点は2でその次がサンダードーム)。旧マッドマックスシリーズの何が好きかというと、メル・ギブソンがかっこいいのは今さら語るまでもないとしても、その尺の短さが挙げられる。どれも二時間を越えることがないのでサクサク楽しく観れるのだ。最近映画を観る時に上映時間が二時間越えますとか聞くと本当にしんどくなって来るので、このテキパキとテンポの良い短さには本当に感涙してしまう。
じゃあ最近の新マッドマックスがどちらも二時間越えの作品なのでダルいかというとそんなことはない。冒頭からガンガンイケイケで進んでいく勢いや熱量は凄まじいものがあり、ジョージ・ミラーが作品に込めた配慮によって上映中は退屈するということを知らない。
この面白さはやはり客に対して真摯で誠実であることから来るのだと思う。前作が公開された時、一部の連中から「フェミニストのプロパガンダ」と中傷されたようなんだが、仮にそうであったとしてもジョージ・ミラーは観客を楽しませることを決して忘れていない(ちなみにジョージ・ミラー的にはフェミニズム映画を作ろうとしたのではなく物語が、物語の構図がそうしたフェミニズム要素を要請したという感覚らしい。インタビューで言ってた)。目で楽しませる、勢いで楽しませる、キャラクター造形で楽しませるといった配慮は全編に行き届いている。
また、これは男女関係なしに人としての強さの話なわけで。マックスのやっていることとフュリオサのやっていることは何も違わない。「世紀末の荒野であっても力強く前向きに生きていこうね」という話だ。どのキャラクターも「辛いから死んでやろう」とかネガティブなことは考えない。ただひたすらにアグレッシブでバイタリティに溢れている。
ただこれ「オチが幽遊白書じゃねーか!」とは思った(飛影がかつて軀を飼っていた奴隷商人を木と融合させるアレ)。しかしかつてフュリオサをアニメ化しようとしていた前田真宏によるとあの場面はフュリオサの妄想が入っているとのことで、実際はフュリオサに引き摺られて死んだディメンタスの死体に種を埋めたそうだ(パンフ参照)。
とまあこのように復讐だけで終わらせずその先もキチンとあるんだぜ、という部分は中々好きだ。