アメリカン・フィクションを観る

 いわゆるポリティカル・コレクトネスの捻れた部分をメタフィクションの手法を用いることで戯画化した作品だった。
 観る前から面白いことが確定している映画というものが、この世の中には存在する。最近だと「ダム・マネー」などが該当する。これらの映画に共通する要素はあらすじからして面白く、テンポも良いことにあると思っているのだが、この映画もその例に漏れず、観る前から「面白そう感」がプンプン漂う映画だった。実際中身も面白く、風刺が効いていて大変よく出来た映画だ。人は所詮自分が望むものしかその作品から引き出せない、引き出さないということを皮肉げに描いている。ラストも「てめーらは所詮こんなもんが観たいんだろ」とばかりにめちゃくちゃなオチが用意されており、我々視聴者も知らず知らずのうちにそうした怠惰な意識を内に蔵していた事を突きつけられるところが秀逸だ。個人的には白人が「今こそ黒人の声を聞くべきなのです」と言いながら黒人の意見を封殺する場面がキレキレでおもしろかった。
 いちばん興味深かったのは小道具の使い方で、シーンが切り替わった時にキャラクターが使っているコップの形状によって現在彼らがどこにいるのかが分かるというのは地味ながらよく考えられている。FUCK.

追記:あとこの映画は字幕での鑑賞をおすすめする。ロー対ウェイド判決(米国でそれまで多くの州で違法とされていた人工妊娠中絶をはじめて憲法上の権利として認めた判決。連邦最高裁が1973年に判事9人中7人の多数意見として、中絶を犯罪とした当時のテキサス州法などに対し「憲法で保障されている女性の権利を侵害している」などとして違憲判決を下した)に関するジョークは吹き替えだとイマイチ分からんのでそこら辺を上手く掴むためにもおすすめ。この映画には全編そういったひどいギャグが満載なので。

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