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『屋敷女』を観る

俺はまったく知らなかったのだが、2003年から2008年にかけて「ニューウェイヴ・オブ・フレンチホラー」というフレンチホラーブームが世界のホラー界隈で巻き起こったらしい。
そのことは『BEYOND BLOOD』という映画に詳しくまとめられているが、とにかくアメリカやイタリアといったホラー映画が強い国々ではなく、意識高い系国家フランスで痛々しいゴア描写多めのジャンル映画が出てきたことが新しかったのだとか。主に日本やスペインで盛り上がったらしく「これらの映画がなければ『ウォーキング・デッド』は存在し得なかった」という人もいるくらいだ。
しかし面白いことにフランスではこのフレンチホラーブームが存在しなかったそうな。元々フランス人は自国産のジャンル映画を嫌っており、歴史的に見てもフランスにおけるホラー映画自体がほとんど存在しなかったという(それこそメリエスの頃に遡らねばならないくらい)。「ホラーと言えばアメリカ産」というそこはかとなくアメリカを見下したような考えが多数派らしく、ここらへんは実におフランスらしい意識である。
なので当のフランス人達はフレンチホラーブームなんて聞いたこともないという倒錯した状態だったのだそうだ。
そうしてブームは潰えた。フランス人ホラー監督がホラー映画を撮りたい若手に対して「幸運を祈る。ホラーはもう終わった。非常に困難だと思う」とアドバイスすることを余儀なくされるような状況なら当然とも言える。
しかし最近になってコラリー・ファルジャやジュリア・デュクルノーといった新星が現れてにわかにフレンチホラー復活の兆しが現れた(!)。前にも書いたが、特にファルジャが監督した『サブスタンス』はオスカーにノミネートされており、ジャンル映画希望の星となっている。
だがこれもまた面白いことに、ファルジャ本人はフレンチホラーブームを知らなかったと言う。そんな人が何の因果か数々の賞を受賞して「ホラー映画はもっときちんと評価されるべき(意訳)」と語っているのはなんとも奇妙な巡り合わせである。
話は逸れるが、つまり氏は素でこういうジャンル映画が好きな人だということである。(ここらへんは通っていた映画学校のクラスで数少ない商業映画好きだったマイケル・ベイを思わせる)。好感度は否が応でも高まる。
ジャンル映画はバカにされがちだが、それでも賞レースに乗った監督がこのようなことを言ってくれるのは……というよりもジャンル映画監督が賞レースに乗っかることができたのは、くだらない映画が大好きな俺としては嬉しい限りだ。
ただゴダールですらヨーロッパ的意識高い系価値観に取り込まれてつまらねえ映画を量産するようになったので(「ゴダールの映画は元からつまらねえだろ」とか言ってはいけない。『アルファビル』はけっこうかっこよかったし)「このフランス人監督がそうした道を歩まねばよいが……」と俺はちょっと戦々恐々としている。

閑話休題。

この『屋敷女』もそのフレンチホラーブーム期の作品だそうで、(誰が言い出したのかは知らないが)「4大フレンチホラー」の一つに数えられるらしい。さらにこの映画は4つの中で一番エグいと評判であった。
たしかにエグい。「妊婦の臍にハサミを突き立てて中の赤ん坊を取り出す」と聞けばただの悪趣味なトーチャーポルノのようだが、さすがはおフランスというべきか、そこにアートな雰囲気を持たせているのが違う。
一見サイコホラーのようでもあるが、俺はどちらかというとボディホラー的な要素が強いと感じた。エイリアンに代表されるような「孕んでしまう恐怖」。原題の『INSIDE』に象徴されるように、実は、というほどではないものの、内側からの恐怖を扱ってもいる。故に内と外の圧にやられて死んでしまうのは当然の帰結と言え、俺はあのオチに関しては納得がいっている。おまけにそれがベアトリス・ダルの怪演とともに迫ってくるのだから到底人に耐えられるものではない。

また、凝った特殊メイクも素晴らしく、クラフツマンシップを大いに感じた。この手のゴア映画を観る時はやはりその特殊メイクの展覧会の様相を呈し始めるのが常であるが、『屋敷女』に関してもそこら辺はしっかりと盛り込まれている。
俺が特に好きなのは、銃弾で頭を吹き飛ばされるショットだ。映るのは一瞬ながら、その割れ具合や弾け具合が見事の一言に尽きる。あまりに見事すぎて、つい人の頭を吹っ飛ばしたくなる衝動に駆られるのが困りものだ。

4大フレンチホラー最強の評判も納得であった。

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