今年やりたいことを挙げてみる。その他、趣味を持つことの重要性などもちょこっと
ネテロ会長が三日坊主な僕の心を代弁してくれました。
多趣味な方もそうでない方もこんばんは。皆さん、今年の抱負とか何とかあったりしますでしょうか?僕は今のところ「没頭」を目標にして、何か長いスパンで打ち込めるものはないかなと探しているところなんですが・・・
やるかやらないかは別として、ふわっとした輪郭が浮かび上がってきたので文字に表してみようと思います。いきますよ。
・筋トレ(多分続かない)
腕、というか手首あたりの筋肉をつけて腕時計の似合う太さにしたいっていうのと、脚~ふくらはぎあたりなんかも鍛えたいですね。スクワットしたい。その筋肉は何に使うのかって?ないしょです。
小・中・高と運動部に入っていて、やっぱり筋トレさせられるんだけれど、僕には「強制される」くらいが丁度よかったかもしれない。あの頃に比べてかなりだらしない身体になってしまった。マシュマロボディと呼べばいくらか響きは良いだろうか。
・ピアノ弾けるようになりたい(ちょっとやってみたい)
何が僕の心の琴線に触れたのかは分かりませんが、楽器というか音を使って表現できる人って素敵だなー格好いいなーと思いました。で、男が弾けたらかっこいい楽器の代表格は何かと言うとってギターなんです(決めつけ)。
でも多分僕には似合わないと思ってて、じゃあ何だろうって思ったのがピアノ。僕が求める格好良さのベクトルはそっち方向。ピアノ弾ける男の人って何かエロスを感じないでしょうか。
実は弾きたいなー!って結構前からぼんやりとは考えていて、いつか死ぬまでに弾きたい曲リストなんかもこっそり作ったりしていた。
それまでは「いつか弾けたら・・・」だったけど、僕の中の何が変わったのか、「もしかしたらそのいつかって今だったりして・・・?」みたいな所まで来ている。簡単な道じゃないのは分かっている。すぐ挫折したとしても構わないから、僕の人生に音楽が加わるとどういう化学反応を起こすのかが気になった。ちなみに音楽は3。
小学校のリコーダーの授業で「シ」と「ラ」だけを使って演奏するザ・入門みたいな曲があったんだけれど、僕だけ弾けなくて置いてけぼりをくらったことがある。そんな僕が音楽の門を叩こうとしていることに自分が驚いた。
ピアノを習うにあたっての目標みたいなものも一応あったりする。
これとか、
これとか、
これとか弾いてみたい。言ってしまうと今まで遊んできたゲームなんだけれど。今度はそれに音楽という側面からアプローチできたらもっと楽しめるんじゃないか?満足するんじゃないか?と思ってみた次第です。
いやこれ、弾けたら・・・凄くない??これ何年かかるの・・・??
分かっていてもピアノに所謂ワンチャンのようなものを感じてしまう。どうしたらいいんだ。これ弾けちゃったらヤバくないですか(語彙力)。
・noteは続ける(やる)
もはや義務と化したnoteくん。昔から国語は好きだったけれど、本ももう読まなくて、ペンだって握らない日もある。それでも書くことを嫌いになっていない事についても驚いた。基本物事の続かない僕だけれど、何だか辞めたくないと思った。だからnoteは続ける(やる)。
・漢検準一級取りたい(やる・・・かも?)
中学生から暇になった時期にやる、みたいな感じで続けてる漢検をふと今思い出した。何度も挑戦してあと数点、みたいな所で落ちる。こういう勉強というか教養みたいなものって物凄く面倒で皆やりたくない事だと思う。それに対して趣味感覚で向き合えるっていうのは凄い事だと自分でも思うし、明らかにそちら方面の才能?適正?があるのが目に見えてるからこれも辞めない方がいいと思う。
漢字・言葉・語彙からなる教養の重要性については、別記事に書こうと思ってますので深くは述べないでおきます。
もういい加減合格したいよー!
・部屋に貯まってる1000ピースパズルをどうにかしたい(したい)
小学6年生頃にモンハンの1000ピースパズルを買った。で、かつて数年くらい放置させていて完成させたのは中学の頃。当時ハマっていたモンハンがパズルになっていたことだけが取り組む理由だった。完成させられたのはいいんだけれど・・・
その後、何でか分からないけれど似たようなモンハンの1000ピースパズルを別にやりもしないのに集めてきて、それから何年も部屋の隅に箱ごと置かれたまま。だからパズルをしたい、と言うよりかは掃除する感覚に近い。ただ、1ピースだけでは意味を持たない癖にそれらが集まると急に意味を持ちだして、最後に1つの絵が形づくられる・・・「無から有」みたいな所は好きかもしれない。
実はパズルは結構お金がかかる趣味なんですね。パズル本体だけではなく、それをしまうためのフレームも買わないと遊べない。1000ピースパズル一つを作品として仕上げるには4000円くらいだったかな?したはず。 だから子供の遊びにしては結構高尚なものに目を付けてしまった。
ああ・・・また話が逸れた。とにかく掃除したいってことです!
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とまあつらつら書きましたが結構ありますね。意外と習慣付ける必要のあるものが多くて、本当に一生懸命に取り組むことができるなら素晴らしく充実した毎日が過ごせると思う。一日が足りない、という感覚を味わえると思う。ある意味それは積極的に生きることだと思う。いい意味で僕が僕でなくなってしまうような経験ができると思う。
でも全部こなすのは無理なんだよなぁ・・・。誰でもない自分がそう言うんだからなぁ・・・。どうしよっかなぁ・・・。
思い出したので最後にもう一つ。
「多趣味」な人はリスクヘッジが上手く、楽しく生きるのが得意である
リスクヘッジっていうのは元々金融取引の用語とか、ギャンブル用語だったような?・・・分かりやすく言うとリスク分散。
対象を一つに絞ってそこに100を賭けるんではなく、10か所に10ずつ賭けて損失を減らす、みたいなだったはず(伝わるかな)。で、ここでは投資の対象をそのまま趣味に置き換えて考えてみていただきたい。
より多くの趣味を持てば持つほど、どれかがダメになったときでも精神や生活の安寧秩序が保たれるように思えないだろうか(ここでいう「ダメになる」とは、趣味への飽き・金銭面・時間面等その他諸々の断念を指す)。
そして、反対にどれもイイものだった場合もまた当人にとってプラスにしかならず、新しい趣味に手を出すほど、それらから得られる総合的な効用・快楽・教養・・・等は一方的に増していく。
何か一つの趣味に没頭することを否定する訳では全くない。寧ろ、ああでもないこうでもないと片っ端から手を出すことで、「広く浅く」みたいな(それもいいのかもしれないけど)薄っぺらい理解で終わってしまうことだって考えられる。
それでも、色んな事に挑戦する人に対してはやはり活力というか、楽しく過ごすことへの貪欲さというか、正の方向へ向かおうとするアクティブな人間性というか、周りより一歩進んだ心の豊かさというか・・・上手く表せないけれどそういう眩しいモノを感じる。少なくとも身の回りのそういう人を見ているとそんな風に考えさせられる。
だから自分も多趣味でいたいんだけれど!現実は厳しい!
でも書き出してみたら多少はスッキリした。取り組むと取り組まないの間って本当に天地の差がある。やる気が起きないとか書いてる暇があればアクション起こした方がいいんですかね・・・?一回その方向に足を進めてしまえば後は勢いで・・・続いたりしないですかね?
今後どうなるにしろ、「没頭」という当初の目標を掲げつつ頑張ってみたいと思いました。今回はこれでおしまいになります。
・・・怠惰な生活を送るという事も趣味にしてしまえば良いのでは?と一瞬ひらめきましたがやっぱり許されなさそうなので辞めました。ぴえん
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