オンラインゲーム「ドラクエⅩ」を気が付いたら8年間続けていた話。小学から大学までのアストルティア
オンラインの方もオフラインの方もこんばんは。皆さん、ゲームはゲームでも「オンラインゲーム(以下、ネトゲ)」ってご存じでしょうか。広い定義で言うともしかするとソーシャルゲームもネトゲに入るかもしれませんが、今回はちょっと狭めて「MⅯORPG」のお話をさせていただきます。
MMORPG(Massively Multiplayer Online Role-Playing Game、マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン・ロール・プレイング・ゲーム)とは、「大規模多人数同時参加型オンラインRPG」のことである。(wikipwdiaより引用)
要するに「メイプルストーリー」とか「FF11」「FF14」とかの事ですね。
で、僕が続けてるネトゲは何かっていうと…
はい、国民的RPG「ドラゴンクエスト」の記念すべき10作品目「ドラゴンクエストⅩ」です。
DSで発売され、ナンバリングタイトルで最高の販売数となった「DQ9」の発売から3年、2012年8月2日にシリーズ初の「オンライン」を銘打って発売されたこのゲーム。
アップデートを繰り返し、現在サービス開始から8年目に差し掛かっています。そう、8年です。貴方は同じゲームを何年、いや何時間続けられますか?
…ということで今回は、8年続けてきたということについての個人的な振り返りとか、僕がこのゲームに懸ける思いとか諸々含めて、気が付けば僕の青春の片隅にいつもあった「ドラゴンクエストX」について適当に語っていこうと思います。いきますよ。
■始まりは2012年の9月5日だった
2000年生まれで当時12歳だった僕。この頃は3DSがゲーム機の主流で、インターネットの普及によりちびっ子たちは直接集まらずとも、家に居ながらにしてゲーム越しに皆で遊ぶことができた。これによって、
全体的にネットへの敷居が下がって、少ないながらも「オンラインゲーム」に手を出す小学生もいたのだ。
以前、小学時代にハマっていた別のゲームについて記事を書いたのだけれど、なんとまあ奇妙なことに、そのときの友人が全員ドラクエXを買って、ネットの世界でも一緒に遊びだしたのだった。
小学生の目には当然、ネトゲなんて新鮮に映る。友達が遊んでいる画面を横で指を咥えて見ていた僕…。欲しいなぁ…。買いたいなぁ…。
と、いうことで思い立ってから行動に移すまで時間はそうかからなかった。誕生日の前日。9月5日にプレゼントしてもらい、発売から一ヵ月遅れでドラクエⅩをプレイし始めた。
9月6日~8日だったかな?で学校の修学旅行が重なってしまって、旅行中はずっとそのことで頭がいっぱいだった。修学旅行のバスが学校に着いた後、友達とゲーム内で集合する約束をして帰宅。
そして僕たちはとうとう学校でもネトゲでも一緒になった。
今じゃもう当初の新鮮味は薄まってしまったけど、この
「知り合いとゲーム内で会う」っていう感覚が本当に不思議だった。ゲームの中で動いているキャラクターを、他でもない自分の友達が動かしているんだな~と思うと訳もなく愉快だった。
その上ネトゲというのは「画面越し・知らない人同士」で遊ぶという側面が強いこともあって、現実世界ではその感覚や話題を共有しにくい。
のだけれど、その時の僕たちは贅沢にもリアルの友達だけでパーティーを組んで遊ぶことができたし、学校の出来事をゲームの中で話したり、反対にゲーム内の出来事を学校で話したりもできた。30分休みの時間に集まって、「次はこんな遊びをしたい」とか、「〇〇を倒しに行きたい」とか。
そういうことがあって、僕たちは全員で探り探り遊んでいくようなネトゲの醍醐味というものを十二分に味わうことができた。それも、他の誰も経験しないようなやり方で。
そしてそれは例えるなら、虫あみを持って草むらを駆け回ったり、人気のない場所に秘密基地を作りに行ったりするようなことと同じようなエネルギーと情熱の量だったし、紛れもない文字通りの「冒険」をしていたと思う。
始めたてで装備もまだ何も揃っていない僕に、友達がお金といくらかのアイテムをくれたことを今でも覚えている。集合場所はプクレット村という場所だった(プレイしたことのある方なら懐かしめるはず)。
それからハマるのもあっという間。ありえないと思うかもしれないが、オンゲは本当にやることが多いし面白いしで辞め時が自分でも分からない。小学生なら尚更で、弱冠12歳にして「授業中の50分で〇レベル上げられたなぁ…」とか考えてた。末期。
ネトゲの危なさは親も分かっていたのか、夜の7時までしか遊ばせてくれなかった。そのせいで僕だけ成長スピードが遅かったから、土日は前日に早く寝て、朝の2時くらいに起きて、そこから日が暮れるまでずーっと遊んでいた。Wiiを没収されたこともあったなぁ。
街は人がいっぱいでチャットが飛び交っているし、外に出れば色んなプレイヤーが集まってモンスターと戦っている。現実ではないけれど、放課後になると、もう一つの世界がそこに本当に広がっていた。馬鹿にされるかもしれないけれど、小学生の僕は少なくとも本気でそう考えていた。
■ネトゲを続ける上で避けられない現実世界との兼ね合いを乗り越えて
ネトゲを辞める(=キャラを消す)とか、売るとかっていう発想はなかったけれど、小学卒業と同時に日常生活も慌ただしくなった。
リアルがとても楽しかったこともあってネトゲに触れる機会は明らかに減っていた。勉強に部活に遊びにとあっという間に過ぎていき、あっという間に一年が経った。ネトゲの存在が頭の片隅にすら残っていなかった時期もあった。
しかし2年生になり、一つ下のゲーム友達が同じ部活に入ってきたことで状況が変わりだした。…そうだ、ドラクエやろう。
この「ドラクエⅩ」、月額1000円で遊べるので中学生の僕でもなんとか貯金を切り崩してプレイし続けることができた。
ネトゲあるあるだけれど復帰するとまたやることが山のように増えていて、そのおかげかドラクエ熱の再燃にもそう時間はかからなかった(この頃は確か、両手剣バトマスが全コンテンツ引っ張りだこだった記憶)。
そうなってからは、いかにゲームを生活の隙間時間に詰め込んで遊ぶか?ということについて頭を悩ませることになった。学生の「両立」といえば普通は勉強と部活を指すだろうが、僕にとっては「ゲームとそれ以外」を意味していた。
ここまでで僕のドラクエ愛は十分に伝わっていると思うけれど、その時の、いや、もしかすると今の僕にとっても、この「ドラクエⅩ」はもはやライフスタイルの一つで、ルーティンの一部だった。
ネトゲとの向き合い方は既に何かおかしかったが、そのせいで大きく成績を落とす、なんてことは以降も全くなかった(テスト期間になるとリアルの友達もゲーム内の歳が近いフレンドも皆ログインしなくなるのだ)。
高校入学後もそれは同じだった。利用券購入のログを確認してみたところ、以降、半年おきにハマる→飽きる→ハマる→飽きる→ハマる…
を繰り返して今日までに至っているらしかった。
プレイ時間はたった今の記録で5393時間と40分。つまり224日間休みなし、ぶっ通しでプレイしている計算になる。
5000時間というのは、だいたい税理士・公認会計士・弁理士になるために必要な勉強時間と概ね同じ。こう言うと引かれそう。
でも、ネトゲやらなかったところで多分別の形で時間を使っていたと思うし、そう思わないとやってられない。しかも恐ろしいことに、ネトゲでいう約5400時間なんてのはまだまだ序の口。
サービス開始から「ドラクエⅩ」を起動し続けていれば今日(執筆時、2020年の12月)までで約7万3000時間。流石にそこまではいないけれど、プレイ時間2万~3万のプレイヤーはざらにいる。
プレイヤーだって子供から老人まで、ニートから学生、社会人まで本当に幅広い。そんな混沌とした感じも現実世界そっくりで不思議だし、ネトゲの醍醐味だと思う。何ならゲーム内ヒエラルキーはニートが一番高い。
その良くも悪くもな「ネトゲらしさ」が貴方の目にどう留まるかは分からないけれど、恐ろしさと面白さの両方を伝えておきたかった。そしてその怖い物見たさが、アストルティアに降り立つ一歩になれば幸いだ。
「ドラクエⅩ」懐かしコラム こちらは「タコメット」。ベテランプレイヤーなら全員がお世話になった美味しいモンスター。武闘家や盗賊のツメスキルの特技「タイガークロー」で効率的に倒しつつ、「ひらめきのゆびわ」で減ったmpを回復。狩場に可能な限り留まり続ける「ひらめきタイガー」、縮めて「平田」はもはやドラクエⅩの歴史的文化遺産。
■今も「ドラクエⅩ」を続けている理由は正直、半分惰性。どうしてもあの頃の様に楽しめない
現在進行形で続けている、というのは先ほども話した通り。8年も経つと、流石にシステムもプレイヤー側の遊び方も最初とはどんどん違う形になっていく。
その8年間の流れに身を投じて遊んできた中で、僕の心の中にも大きな変化がいつの間にか起きていた。
…それは、ゲーム内での効率や生産性を無意識のうちに重視してしまうことだった。
昔はフィールドを意味もなく駆け回って探検したり、だらだらチャットするだけに1日を費やす日もあったし、そうしようと思えるだけの情熱があった。意味のないことをすることにすら意味があるように思えた。
ところが今はどうだろう。ゲームと向き合える時間が有限だと気付いてしまったせいで、意味のない事に対するモチベーションがほぼ無くなってしまった。
効率の悪い経験値稼ぎやお金稼ぎには本当に嫌気が差してしまった。スライムを倒しにわざわざ最初の村に遊びにいく、みたいな「寄り道」があまり楽しいと思えなくなった。精神的な意味で「冒険」をしなくなった。
最近の僕の遊び方の傾向としては、もっぱら強敵に挑むだけ。それがつまらないと言っている訳ではないし、むしろあの頃できなかった楽しみ方が出来ていると思う。でも、上手く言えないのだけれど、小学生の僕ならきっと別の遊び方をすると思う。
もうここではっきり言わせてもらうことにしよう。本当に申し訳ないが、絶対に小学生の頃の「ドラクエⅩ」の方が面白かった。
あの頃の世界は広くて、ゲーム内でやりたいこともやらないといけないことも沢山あった。遊ぶ時間も決められていたこともあっただろうけど。それ故に、精いっぱい遊んでやろうという気概もあった。
だけれど、今はどうだろう。かつてのフィールドに同じようにして人が溢れていることはない。
ゲーム内の移動手段も徒歩から「ドルボード(古代の乗り物みたいなもの)」になったし、至る所に旅の扉が設けられた。
良いアイテムをドロップするボスを倒すコンテンツも、かつては長い時間をかけて戦いに行かなくてはならなかったが、それこそ道中の移動も含めた楽しさがあった。でも今はどうぐぶくろの中のアイテムを使えば一瞬でアクセスすることができる。
確かに利便性は上がったけれど反面、「広大な世界を探検している」感覚は無くなった。新しいフレンドを作ることももうない。昔からのフレンドと、昔はああだった、こうだったとワイワイ話す。まるでインターネットの老人会みたい(勿論それはそれで面白いけれど)。
でもこれはきっと、ドラクエⅩ全体としてのスタイルが変わっただけだ。
ゲームも変わっていっているけれど、一番変わったのは僕で、過去をズルズル引きずっているだけだ。
僕が昔の方が良かったと言っているからそう見えるだけで、あの頃とは違う遊び方もその分だけ増えているし、何より僕が今のドラクエⅩを楽しもうという姿勢になっていないのが一番の原因だし、今も楽しんでいるプレイヤーにとても失礼だ。
…というのを頭では理解できるのだが、どうしても気持ちが追い付かない。
あの頃の方が良かった、今の〇〇はダメだ、といういわゆる「懐古厨」と呼ばれて嫌われている人々。
その存在はネトゲに限らず一定数いるのだけれど、僕は彼らの気持ちが痛いほど分かる。小学生の頃にグラウンドを駆け回ったことを懐かしむのと同じように、僕はこの「ドラクエⅩ」に思い入れがあって、いつでも懐かしめるし、いつでもあの頃に戻りたいと思っている。でも、その「あの頃のドラクエⅩ」はもう、どこに行っても見つからない。
そういう人達はきっと、ゲームそのものだけでなくて、その環境を取り囲んでいた当時の思い出諸々を含めた上でそういう主張をしているんだと思う。今の僕も全く同じだから。
こういう思考になってしまう時点できっと僕はもう純粋に「ドラクエⅩ」を楽しめる歳ではなくなっているのだと思う。
先にも述べたが、こういう訳もあって僕は半分惰性で「ドラクエⅩ」を続けている。ここまで来てしまったから、きっと辞めることもない。
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…ですが、もう僕はダメです。やっぱり8年前のあの頃のように楽しむことは永遠にできないようです。
今日までドラクエⅩを通して作られてきた自分自身や友人、そしてゲームの向こうの人々…色んな思い出を忘れられずに引きずっているだけです。
ドラクエⅩを辞めてしまったら、今日まで続けてきたその僕自身を否定してしまうような気がするから、辛うじて続けているだけです。
半分惰性なら、残る半分は・・・そう、「意地」ですね。
「ドラクエⅩ」懐かしコラム こいつはマリンスライム。サービス開始当初では固い&強いで、タコメットに遙か劣っていた。が、僧侶の即死呪文「ザキ」によって簡単に倒せてしまうことが判明し、僧侶の狩り場として有名になるもすぐに修正。スライムにすら5割ほどしか通らなくなった。そんなことがあって、ドラクエⅩにおいて「ザキ」はもう長い事誰からも必要とされていない悲しい呪文なのだ。クリフト涙目。
■閑話休題。そうは言っても、人はどうしてネトゲにハマってしまうのか
小学生の僕ですら「このゲームは何かが違う」と直感的に分かった。1時間が、1日があっという間だった。それは一体どうしてなのだろうか?
・画面の向こうに人がいる、という面白さ
オフラインゲームと違って、「こんにちは」と話しかければ「こんにちは」と返ってくる。知らない人と仕草やチャットでコミュニケーションが取れる。仲の良いプレイヤーとはまるで現実の友人のように取り留めのない話ができる。
これが本当に面白い。例えば学校の友人、部活の先輩後輩、というように、現実世界でコミュニティがいくつも存在しているのと全く同じようにして、ゲームの中にもコミュニティがあるし、自分次第でいくらでも広げていける。街で延々とくっちゃべっているプレイヤーもいるし、鬼ごっこだってできる。
数年前からプレイヤー同士の交流イベントを誰でも企画することが可能になっているし、公式サイトを使ったやりとりもできる。ログインせずともアプリからある程度の操作(アイテム管理や各種コンテンツ)が可能になっている。
リリース当初に比べ、ゲーム内の繋がりを広げることはかなり容易になっているし、加えてゲームとリアルがより密接になり、とっつきやすさは非常に高くなった。
SNSの発達もあって、ゲームの繋がりがやがてリアルに発展したりすることも珍しいものではなくなった(オフ会やら恋愛やら)。
昔のネトゲが持っていた陰湿(?)な感じはもはや時代錯誤的なものになり、ゲームはとうとうそのゲームという枠組みを越えて「現実世界」の一部になったといっても過言ではない。
そんなこんなで「ゲーム依存症」が叫ばれるようになって久しく、「廃人」という現実を投げうってゲームにのめり込む人々の存在も一昔前よりは大分浸透してきた。
僕は小学生の頃から半分それに片足を突っ込むような遊び方をしていたから、そういう人たちの気持ちも痛いほど分かる。
強かったり、資産のあるプレイヤーが名を挙げるのは現実に似ているし、NPCに言われる「ありがとう」と画面の向こうにいる誰かから言われる「ありがとう」は重みが違う。
直接顔を合わせるわけではないけれど、人間が向かい合うことでゲームというものは良くも悪くも独特の生々しさを帯び出す。だからネトゲは面白い。
・性質上終わりがない、という面白さ
オフラインのゲームも、今でこそやり込み要素の充実した作品が主流になっているが…ファミコンはボスを倒したらスタッフロールが流れて、「END」と出てきておしまい。電源を切るしかなかったりする。
ところがネトゲは違う。
サービスが続く限り、機能・コンテンツ・ストーリー・システム・商業展開etc・・・ゲームとしてのボリュームは基本的に増していく一方だし、ネトゲの「プレイヤーにより多く時間をかけさせる」という性質も相まって、やる事やりたい事は基本的に無くなることはない。
かつて新職業「バトルマスター」が実装された時なんかは、転職のためのミッションで指定された敵を巡って大量のプレイヤーが一か所に集合して、40ある全てのサーバーで取り合いになる…なんてことがあった(デッドペッカー倒すやつ。分かるかな)。
実装初日、風邪で学校を休んでいて真っ先に乗り込んだ記憶が新しい。こんな光景が大型アップデートの度に見られた。何と言うか、お祭りに参加しているような感覚がして本当に面白かった。だからネトゲは面白い。
「ドラクエⅩ」懐かしコラム こいつは「メガザルロック」。はじめ、プレイヤーのレベル上限は50だったのだが、大型アップデートにより55へ。そのために必要なアイテムをこいつが落とすのだが、レベル50のプレイヤーですら歯が立たない強さを誇る上に、やっとの思いで倒してもドロップ確率は低く、しかもパーティー単位ではなく一人一人個別の判定だったため大荒れ。周りにいる他のモンスターも強い上、そもそもこいつがいる場所に辿りつくまでに大量の死者が出る。到着したらしたで、大勢の他プレイヤーとの取り合い。ドラクエⅩ史に残る悪夢の「メガザルロックフェス」とはこのことである。
■最後に、ゲーム内での8年来のフレンドについて
小学生の時、リアル友達からゲーム内で紹介された、同い年の女の子(オンゲの女キャラは大体中身男なのだが、この子は本当に女の子だった)。
この子を紹介してくれたこの友達は現在でもリアルの交流はあるものの、とっくのとうにドラクエⅩを辞めてしまった。しかし不思議な事に、この女の子とは今でもゲーム内外で交流が続いている。8年来の友人であり、リアル友人が残していった形見でもある。他にも昔から仲の良いフレンドはいるのだが、この子の存在はどうやらそれとは違うらしく、ここに残しておきたい。
先ほど、僕はこのゲームでの出会いや思い出に縛られているから辞められないというような話をしたのだが、この子との冒険や会話がもしかしたら半分くらい占めていたりするかもしれなかった。
僕が復帰するといつでもそこにいて、8年間いつでも「元気だった?」と声をかけ続けてくれた。声も顔も、本名すら分からないけれど、小学6年生から大学生までの8年間も過ごしているとその人となりが分かる。
冒険を振り返るとこの子に助けられた場面も、反対に助けた場面も沢山ある。ゲーム内の出来事を通して、その子との思い出をいつでも思い出せる。
ちょっと考えてみて欲しい。8年来の友人というのは、現実世界でどのくらいいるだろうか。
だからこの子は、画面を通してしか会えないけれど、現実世界の下手な知り合いよりもよっぽど僕のことを良く知っている、という訳だ。
けれど、僕がドラクエⅩを辞めてしまえば、それだけでこの関係は永遠に失われる。不思議な、そしてなんとも脆くて皮肉な距離感なのだけれど、そういう「一期一会」という言葉をなぞるような体験ができるのもまた、ネトゲの醍醐味だと思う。ドラクエⅩというゲームだけが唯一、繋がるはずのないこの人間関係を結んでくれた。
どこで何をしているかも分からないが、この子はゲームの中だけでなくて確かに日本のどこかにいて、何かをしていて、今日も生きている。その頭の片隅に、同じようにして画面越しの僕がいるのだろう。
「ドラクエⅩ」懐かしコラム こいつは「おどるほうせき」。サービス開始当初はゴールドを集める手段に乏しく、大陸間を移動する列車代を稼ぐのも一苦労だった。そこで貧乏プレイヤー達は、一匹24Gという大金を落とすこいつをこぞって乱獲し始めたのである。レアドロップの「青い宝石」は500Gと破格。まさにゴールドラッシュであった。ちなみに現在の1ゴールドあたりの価値はやはりと言うべきかとても低くなっており、当時の1G=現在の1000Gくらいにまで落ち込んでいる。ではおどるほうせきはどうなったかというと…狩られはしなくなったものの、新たに「なかまモンスター」としてニッチなポジションを確立している。
■サービス8年目の決意とあとがき
そういう訳で僕は、8年経った今、改めてこのドラクエⅩで遊ぶきっかけをくれた友達と、その子を始めとしたゲーム内の友人、そしてゲーム内で起きた出来事…僕を形作ってくれた「ドラクエⅩ」というゲームに関する全てにもう一度感謝したい。ありがとう。
あの頃の思い出を残したまま、殆どのフレンドはログインしなくなった。皆元気でやってるかな、という悲しさも、昔に戻れないやるせなさも、全部背負って僕はサービス終了まで続けていくつもりだ。
大事なことだから最後にもう一度。僕がこのゲームを辞めてしまったら、今日まで続けてきたその僕自身を否定してしまうような気がする。
だから僕は、あの頃のような情熱が無くなってしまっても、どれだけトキメキが無くなってしまっても…ドラクエⅩの最後を絶対に見届けると決めている。
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noteの層とネトゲプレイヤーの層、利用者が大分ずれてるような気がしますが書きたいこと書けて良かったです。
この記事を通して、「ドラクエⅩ」を遊んでいた方、進行形で遊んでいる方、そうでない方…全ての方に、僕のちょっと捻くれたドラクエⅩ愛が伝わってくれれば幸いです。
暫く遊んでいませんが、コメント頂ければフレンド申請も喜んで受け付けます。こんな素敵な思い出が作れる「ドラゴンクエストⅩ」、貴方も遊んでみませんか!?
ってことで以上でーす。全人類のゲームライフとアストルティアに幸あれ。
「ドラクエⅩ」最新コラム こいつは「邪蒼鎧デルメゼ」。ver5.3現在、最難関のエンドコンテンツ。プレイヤー側から干渉できないスタン+復活禁止+その他デバフの爆弾を精製し続けるギミックやその処理によって、プレイヤーは数十秒おきの移動を強制され、避けつつ的確に制限時間内にダメージを与え続けなければならない。PT全員を対象とした頭割り技「ジャッジメントブルー」による散開、「分散する災禍」による接近、ターンエンドの誘導ととにかく忙しい。現在最強難易度「Ⅲ」の討伐者数は広いこのゲーム内でもたった数十名。ちなみにヒーラーとして僧侶を加えるのはナンセンス。なぜなら僧侶は火力を出せないからだ。 最高難度のこいつを倒したいのであれば、HPを全回復させる消耗品「せかいじゅのしずく」をゴールドで大量に買い、「道具使い」がそれを湯水のようにバラ撒くしかない。
敢えて用語を入れまくりました。意地悪してごめんなさい。ということで本当の本当におしまい