映画『蜜のあわれ』一瞬の煌めきを閉じ込める器。
室生犀星の小説「蜜のあわれ」をスタエフで朗読配信した。
私は小説を読むときも映画を観るときも、頭を空にして楽しむために先に情報を仕入れないようにしている。
そのため、本作も小説に一目惚れして朗読を決めた後は、映画がどんなものか調べないようにしていた。
朗読全16回の毎日配信が終わったので、もうめちゃくちゃ楽しみにしていた石井 岳龍監督の映画「蜜のあわれ」を視聴した。
たったいま、「箱男」も石井岳龍監督だと知り震えている。
観なきゃ……!
朗読は自己満足、セルフケア(笑)のために始めたばかりで下手ですよ。
standfmでの朗読に至った経緯を占い師っぽく語った前回の記事はこちら↓↓↓
主要キャストは検索結果ですぐに見えるので知ってしまっていた。
私は大杉漣のファンで、2006年の食わず嫌い王決定戦でお話しされているのを見て最高だなと思った。
それより以前から知っていたけれどトークをはじめて見て、真面目に話すというよりは場を和ませるひとだなと感じた。
作中の「おじさま」は決してギラギラベトベトしてはいないし、かといって枯れてしまっているわけでもない。ハンサムすぎず、個性が際立ちすぎずという曖昧で絶妙なイメージを大杉漣が実演していた。
やはりすてきだった。
かなり際どいシーンも出てくるし、主演の二階堂ふみと口論する場面もあったが、さらに好きになった。名優だと思う。
このたび調べてみると、ピンク映画に多数出演されてた時期があったのね。セクシーな演技めちゃめちゃお上手と思ったら。
相手役の韓英恵は小説には登場しない役だけれど、彼女がいることで重要なシーンが生まれたし、いい意味でぞわぞわする存在感だった。
とてもきれいな絡みだった。女優さんたちが嫉妬しちゃいそうな役。
永瀬正敏はラッキーパンチだった。
朗読しながらこれは割と重要な役どころだとは思っていた。ちょっと軽口を叩くけれどよく他者を見ている、そんな金魚屋のおじさん。このひとが演じることで一気に幻想っぽくなる。一枚の絵画に一色足すだけで、印象がぱっと変わって見える。そんな味。私はいまも『私立探偵 濱マイク』推しだ。
高良健吾の芥川龍之介役は期待通り。
おじさまの見る幻であったので、「いいところ」だけが強調されたようなキラキラ演出なんだと思った。おじさまの羨む、永遠になりたくてもなれない対極にいる人物。そんな愛憎を具現化していた。
芥川本人に焦点を当てたらこんな描き方ではない。ほかには存在しない芥川。
真木よう子は、ゆり子をどのように演じるのかずっと気になっていた。
作品の生まれた時代から察するに、いまの若い女性よりも控えめで大人びた雰囲気であろうと朗読のときにはイメージしていた。
この映画は全体的にポップな雰囲気で、男女の嫉妬について多く時間を割いて描いていたことで、真木よう子の押し出しの強さや独特のハスキーボイスが生きていたように思う。二階堂ふみと寝転がったり、肌を触れ合う濃厚なシーンが野性的で、予想外でよかった。監督ありがとう。めちゃ楽しめました。小説の行間!って思った。
映画は時間に制限があるから、小説が原作なら一部を切り取ることになるし、エピソードをつなぐために行間を表現する必要が出てくる。
そのやりかたが斬新だった。
私は小説を読みながら語句をチェックして、録音に失敗したり読み直したりしていたので、誰がどの台詞を言ったかをはっきり憶えている。
映画のなかでは、いくつかの重要な台詞を小説とは別の人物に言わせてみせるシーンがあって、それが意表をついていて面白かった。
このひとがこれを言うのね~!って。
この物語が特殊なのは、幻想小説という体で、すべてが「おじさま」の頭の中の世界だから誰がどの台詞を言おうとけっきょく同じソースから来ているってことを観ている側は気づけるし、納得できるところ。
二階堂ふみはそこを知っていて、映像特典のインタビューでは台詞に意味とか深みを出さないで言うのが難しかった、という内容を語っていた。
なるほどなと思った。
おじさまの生み出した幻想だから、リアルな女の激情などを乗せることなく長台詞を淡々と噛まないで、しかし怒りながら言わないといけなかった、と。
私も朗読のときに、喧嘩のシーンは重要な場面だったけれどなんていうかそこまで深刻にしてはいけない気持ちがあった。
このお話はコミカルなファンタジーで哀愁があるから。
なんと二階堂ふみは、高校生の頃にこの小説に出会っていて映画化するなら主演は自分だと、周囲に言ってまわっていたという。
それはそう思うのは誰でもできるんだが、ほんとうに容姿と才能とあらゆるチャンスとタイミングが合致しなければ成し得ないことだ。
その奇跡がこの映像全部に詰まっている。
映画のレビューをいまは誰でも書けるので、さまざまな感想と批評を見ることができるが、私はこのぶっちぎりの奇跡に拍手を送りたい。
二階堂ふみが主演ならこの映画は勝ちだ。
特典映像で大杉漣が「この20歳とは思えない…」と二階堂を評して言っていて撮影時は20歳から21歳になる頃であったことがうかがえる。
このくらいの気合いの入った20歳の女優を、本人の望む作品で丁寧に撮れたならそれは宝石箱のようになると思う。
肉体だったり声だったりしなやかさ、幼さ、激情。
そのすべては20代のなかでこなれてくる。
もう少し歳を経た二階堂ふみであったらもっと色っぽく、、、というレビューを見たが、女から言わせるとそれでは遅い。
女の顔は年々、ほんとうに少しずつではあるがこけてくる。
段々、下の方、下半身に垂れるように肉が付くようになる。
丸い顔で、丸いお尻の金魚の赤子。
原作で、なによりもそれが大切なテーマであるので、それを守った映画のチームの功績は大きい。室生犀星が観たらなんて言うだろう。
小説には踊った、という描写はないが、この映画は踊る。インド映画ではないが。
私はそれを見て「夕映えのお尻ダンス。」だな、と思った。
原作では、先に述べたようにお尻に対する男の憧れが訥々と(小説家のくせに)なんだか要領を得ない感じで語られるのだが、その感じを映像ではちょっとコミカルに表現したのだろう。
とても愛嬌があったし、二階堂ふみの若さが金魚の赤子のイメージを増幅させるものであった。
文句を言う奴は小説をちゃんと読めよ、と思った。
二階堂ふみが私生活で色恋を重ねたり、スキャンダラスに生きていたりするとこのかわいさが、観客にとって違うものに見えたのだろうし、このタイミングでよかったのだ。
10代だと、逆に猥褻な感じになりそうだし。
年を重ねたらそれなりの芝居ができるから、役者はずっと見応えがあると私は思う。
私はこどもたちに、あの俳優は○○のひとだよー、とおしえて驚かせるのが好きだ。だっていつも違うように見えるから。
この映画は極端に登場人物が少なく、場面もそんなに多くないように感じるが、実際はものすごく移動したと大杉漣が言っていた。
それは、適切なロケーションにこだわって妥協しなかったからだろう。
私の想像した通りの庭に、想像した通りの二階だと驚き感動した。
家がちゃんと家屋で、神社の鳥居も本物だった。
なかなか難しいことだと思うが、細部にまで心意気を感じた。
衣装もよかった。
和装で走るシーンが面白くて、あんなに動けるんだなって本筋とは関係ないところでウケた。
覗いてくれたあなた、ありがとう。
不定期更新します。
質問にはお答えしかねます。
また私の12ハウスに遊びにきてくださいね。