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LD~学習障害で何が悪い。
息子は10歳で、4年生から特別支援学級に入級した。
軽度ASDは遺伝的に出るだろうなーと思ってた。
もしかしたら、重いのかもしれないと予想もしていた。
少し大きくなっても対応できる抱っこ紐を購入した。そこまで必要ではなかったが。
1歳半検診で、みんな大好きなアンパンマンに興味を示さなかったり、指差しの反応がイマイチだったりして、保健師がいきり立って発達検査を受けろと言ってきた。
息子より以前に軽度ASDの姪を育てていたので、保健師は正義感で私に言いたかったのかもしれないが、もうすでにわかってて経験していることだった。
あのような物の言い方をしたら、第一子のママは不安で泣いてしまうんじゃないかな。
託児所でみんなで遊ぶ時間にひとりで寝転んでおもちゃのクルマや電車のタイヤを見ているんです、とスタッフに言われたのは2歳。
タイヤとか規則的に動くもの、回るものが大好きで夢中になっちゃうの、発達障害あるあるだと思ってるんだけど、それがイケナイみたいに、遊びの時間にはみんな集まらないとイケナイみたいなことを2歳で要求されてたんだよ。。。
振り返ると日本の教育現場って生きづらすぎるなって思うね。
発達検査でははっきりと数値化して発達段階がジャンル別に結果がでる。
ここは何歳程度に達している、とか。
そこからはぼんやりと、集団への溶け込みにくさの気配は出ていた。
軽度のASD(こだわりが強い、認識の偏り、空気の読めなさ等)と就学前の検査でLD(読み書きの困難がある)とわかった。
アメリカから帰国してこどもを公立の幼稚園、中学校へ入れたママと話していて、日本の発達障害の判定や一般の保護者の線引きの基準てけっこう厳しいというか、こっからは別だからいっしょにしないで、っていう除外する傾向が強いのだなと私は思った。
定型発達(発達障害ではない大多数のこどもたち)の親や、教員側の都合でマイペースなこどもたちを別枠にして、穏便に生活したいのだという発想が見える感じ。これ私の感想ね。
あと教員たちに余裕とか力がないっていう仕方ない事情も。
別枠があることでのメリットもたくさんあるのは実感してるけどね。
どちらがよいかは一概に言えないけど、ほんとうの意味で教育って
いろんな人間がいて、違いを認識して、それに対応することを自ら経験して会得するチャンスを教育者が与えることだと私は考えてるんだけど、実際は転ばぬ先の杖を用意しすぎてチャンスを奪いまくってるのが学校の現在なのかなって。
それが、白黒思考、ひとやものを善悪のどちらかで決めつける、幼稚な社会が出来上がった一因でもあるかと思う。
人間て実はもっといい加減で、いいこともするしわるいこともするグレーな存在なのにね。
息子は小学校の柔軟性のない授業形式が合わないので、成績という見えるカタチで結果を出すことができない。
自由な発言が許されず、押し黙って教員のいうことを聞き入れて文字を書く、それを暗記する、という形式では息子の知性は引き出されることはない。難しい。
娘も息子もそのやり方が悲しいくらい合わないので特別支援学級の少人数のなかで、教員と向き合って、気持ち、意見を話しながら勉強するようにしている。
娘はASDでもADHDでもLDでもない。
でも特別支援学級を選択した理由を書いた記事はコチラ↓
https://note.com/doublerainbow11/n/n3a76cea1b600?sub_rt=share_pw
息子の親友はどちらかというとADHD傾向があり、早口でどうみてもIQは高く、器用で自信満々でその万能感にママが悩んで私に相談してきたことがあった。
私は集団生活で困りごとがないお子さんや保護者は発達検査に行く必要はないですよ、と伝えるようにしている。だって困ってないもん。
その親友と息子はふたりでよく遊ぶ。
似たもの同士なのに対照的でとても興味深い。
太陽星座はオポジション、息子は天秤座でゆっくり、親友は牡羊座でせかせか、他者優先と自分優先、諸々。
その親友が中学受験を検討しているらしく、いずれ離れてしまうかもしれないことを息子は残念がっている。自分の進路の選択肢が少ないことも。
その日、帰宅して
「次は障害がなくてこの家に生まれたい」
と私に言った。
私はちょっと込み上げるものがあって、いろいろ言いたかったのだが
お前の知性は学校で成績が出るようなものではないが頭が悪いんじゃない、賢いのは間違いないから自信を持て、
普通学級でよくわからない授業にぼんやりしてる時間がもったいないから
支援級でコミュニケーションをとったり特別な学習をしているのだ、
それは選択肢を狭めるものではない、
ということを伝えた。伝わったのか、わからない。
障害なしで生まれたい、というところは息子が不自由を感じている、別枠にされていると認識しているいう証拠でそれはシステムの問題なのだが私は残念に思う。
この家に生まれたい、とはもう一度この家庭で、という意味かな?と勝手に解釈して嬉しかったのだが実際は確認してない。違うと言われたくない(笑)
普通学級で過ごす時間がほんとうにもったいないのか、支援学級のほうがほんとうに実りがあるのか、不自由なのか、息子の意志に沿っているのか、検討の余地はまだまだある。
しかし、中学校で普通学級にするのか、特別支援学級を選択するのか、あと半年で決めなくてはならない。これもシステムの事情で。
息子が来世じゃなくて、この人生でこの選択でよかった、と
心から思ってくれるような選択をいっしょに考えていく。
いや、簡単じゃないよね。
激ムズだわ。
覗いてくれたあなた、ありがとう。
不定期更新します。
質問にはお答えしかねます。
また私の12ハウスにきてくださいね。