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この世はすべて幻。

庭の枯れ草を燃やした。
ほんとうは消防法とかでダメらしいが、田んぼに囲まれた家で周りじゅうの田畑でやっている。
自宅前の敷地の主は、いまから焼く、と言いに来る。
あんな量の枯れ草を産廃だとか有料ゴミ袋とかで出してたら破産するわ。

灰は土の中に混ぜ込んで分解されて虫よけとか栄養になる。
稲の籾殻を燃やした炭は土壌改良に役立つので定期的に農協で購入する。
うちの庭はなんかの幼虫とか小動物の糞尿とかヘビや子ネズミとかいろいろいる。
自然はすべてうまいこと循環している。

土を掘り起こしたら土埃を吸う。
草を焼いたら煙を吸う。
私はそれで体調不良になりはしない。
もしかしたら、より健康になっている気さえする。


インターネットを見ていると誰かが争っている。
目の前にはないこと、ないものについて喧々囂々と話している。
私はそれを見て不安をおぼえることがある。
美しい写真や絵、やさしいことばに癒されることもある。
悲しいことに共感することもある。
腹が立つことも。

でも、それらは目の前にはない。
強く強く、心を動かされ、かき乱されるけれど、どこにもない。

今日はよくわからないけれど辛い気持ちになって、目の前に
ないことで胸が痛んだ。
そのとき、灰になった草を思った。
私が育てて、花が咲いて、用をなさなくなった草が土に還った。

私には庭があってよかった。
我に返る手段である。

みなさんはどんな方法で我に返っているだろうか。

なにも手段がなければ、ずーっと目の前にないことに対して不安になったり心が乱れたりしたままなのではないかな。
私より若いひとたちは、生まれた時からインターネットがあって、その世界のことをとても気にしているのではないかな。

私にとっては、こどもたちや庭の草花が世界の中心で、ほかのことはないのと同じだ。
知り合いや友だちは、会えば「いるな」と思う。
会っていない時は、いない。
遠い遠い世界のことも考えなくてはいけないのかもしれないけれど、私に直接、依頼してきた相談者とかメッセージをやりとりしているひとでなければ、いないのと同じだ。
だから、あまり真剣に考えない。
私の腕は二本しかない。
抱えきれない。

もし、都会の真ん中とか土がないところの住宅にすんでいるひとは、テーブルに花を飾ってみてはどうかな。
または虫が湧きにくいハイドロカルチャーとか。(雑貨店やホームセンターにあるよ)

目の前で育つ生命は、思いのほか人間を解放してくれる。

ペットを育てたり、パートナーを育てたりね(笑)
責任はともなうけど。


悩んで辛くてしんじゃったら勿体ないから、
あなたの大好きな音楽や映画やお笑いを鑑賞して、
お気に入りの飲み物を何種類でも用意して、
花や草を観察して。

得体の知れない不安に襲われたときは、
なにかをがんばるのではなく、手放すとき。
脳内のゴミを出すとき。

この世のほとんどのことは幻。
あなたと目の前の命だけが生きている。
ほかにはなにもない。
なにもないことを思い出して。


覗いてくれたあなた、ありがとう。

不定期更新します。
質問にはお答えしかねます。

また私の12ハウスに遊びにきてくださいね。






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