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winding road(好きな道を行け。)

不登校児を再登校させる営利団体の記事を見てしまい、いろいろ思い出して、考えてしまった。
需要と供給があってビジネスが成立するので、どうぞご自由にと思う。
直接触れ合ったわけでもないので批判するつもりもない。

私と娘も不登校の問題を越えてきて、その影響は後々まで残った。
娘は小学校に行かなさ過ぎて学習の遅れが著しく、公立中学校の特別支援学級に進んで進路選択の幅が狭かったので手こずった。すでに解決したが。
そのときの家族の葛藤については、以前に記事を書いた。

けっきょく娘は挑戦したい職業を見つけて中卒で入れる専門学校を選択した。

我が家では不登校に対してさまざま手を尽くしたが、やり尽くした末に再登校を目指す価値がないと判断して、母娘で遊んだり、ひとりで遊ばせたり、ひと通りやって満足したら放置して、私は労働に戻った。
(日本は治安がいいので昼間に留守番させることができた。留守番していることを知られないよう手は打った上で。)
不登校の期間をどのように過ごしてきたかについて書いたので、ご興味があればこちらをどうぞ。↓↓↓

不登校には、家族のカタチやカップルの在り方と同じくらい、理由とか経緯があると思う。
学校に戻りたくても戻れないとか、嫌なあいつが転校するべきなのにとか、無理な教員がいるからとか、自分でもよくわからないとか。
こういうパターンはこう解決!!!みたいな公式は、私はないと思う。
専門家や経験の深い現場の方にとっては家族に介入するときのパターンはある程度、存在するのだろうけれど。
それにしても第三者の考える解決と、本人と家族の願う解決ってなかなか一致しないんじゃないかな。

学校行けないと不安なことは多いね。
本人も保護者もメンタルやられるし。
でも振り返ったら不登校の期間って、学校以外のことに着手するチャンスでもあると思ってる。
そもそも人間全員が、同じように成長段階を迎える前提の教育ってよく考えたらおかしいよね。
そこから外れることができるのはある種の才能だと私は思う。

ママ友の相談を聞いたとき、ほんとうに冗談抜きで、その家の不登校のこどもには才能があると思ったから具体的に説明したんだよね。
占いで観てそう思うところを熱弁したのよ。
そのこは学校と関係ない才能があって、毎日退屈していた。
この才能を伸ばすために、日頃こういうトレーニングをして、とか。
ちょうど好きみたいで、すでにしていたことだったからよかった。

大きく雑に言えば、ほんとは全員天才なんだよ。
働きアリとして教育するためにその芽を摘まれてるのが私たち。
義務教育にハマれるタイプの天才ももちろんいる。
そこは教育者が見極めるところ。

学校に行っていたらなんかクソみたいに感じたり、
なにやってんやろって感じたり、
朝起き上がれなくなったり。
その反応にはいろんな理由があるだろうし、一度は無視して登校するかもしれない。そこでやーめた!っていう強者もいるだろう。

どう行動するにしても、そう感じた自分を責めないで、観察したらいいと思う。
これはおとなが仕事をしている自分に対して感じるのとまったく同じ。
その感情を否定しないで観察したらいい。
善悪を決めずに。

ふわっと浮かんでくるのは一番素直な気持ちなので、合ってるというか、自分のなかでは整合性がとれている。
その気持ちを忘れないでほしい。

対人関係でも、なんか嫌だな、こいつ私を大切にしてくれていないな、とか一回気づいてもいろんな理由があって計算もあって無視してしまうことがある。それも憶えておいたほうがいい。

感情を忘れたり、抑えたりするのを上手にできるようにならないとおとなじゃない、愚か者だと批判される。もっと言うと虐めにあう。この社会では。
いいひと仮面が重宝される。たとえ嘘の姿でも。

上手くできない、もうできない、と思って外れる決意ができたときには思いきり休んだり、違うことに着手したり、自分を取り戻して天才性を発揮する機会だと思う。

いま社会から抹殺されてるように感じているひとはチャンスを迎えている。

皆が憧れるような、親が手を叩いて喜ぶような成功には結びつかないかもしれないけれど、自分が心のそこから「やってやった」と思える道を歩いて行けるとき。はじめの一歩は重いけどね。

誰も理想の人間になれない。
目指している道へすぐになんて行けない。
でも「これじゃない」「これは嫌」は自分でわかると思う。

わるいおとなにダマされないで、道なき道を行けばいいと思う。
静かに応援してるひとは絶対いるから。
負けんな。


覗いてくれたあなた、ありがとう。

不定期更新します。
質問にはお答えしかねます。

また私の12ハウスに遊びにきてくださいね。




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