1サンプルであるということ
昔は、電車の中でもし自分が今全く音が聞こえなかったら、ということを想像していた。
音が聞こえている世界と、そうでない世界の境界線が目の前にまっすぐ引かれていて左右に分かれている、そんな想像をすることがあった。
あるいは、日がかげり始めた夕方に電気をつけないで茶碗を洗い、手でまた汚れを落とし切れていないところがないか確認したとき、ふと自分も触覚に頼って生きていることもあり、突然目が見えなくなっても大丈夫かもしれないと思ったことがあった。
最近そのような感情をあまりしていないなと思った。
想像はあくまで想像に過ぎないということを知ったからかもしれない。
数年間の学生生活で、今まで直接話したことの無かった、障害手帳を持っている人に出会った。ちょっとだけ障害について勉強した。
聞こえない世界や見えない世界というのは世界であった。それらの世界を垣間見て、なるほど、と思った。自分の想像とは違うのだと実感した。あれ、便利ですよね、といったら、面倒なイメージがあった、とこぼされるような大きな失敗をやらかしたこともあった。ニーズを聞く、対応を一緒になって考えて実行する、ということが大事なのかもしれないと思ったこともあった。
人はだれでも属性があるが、その属性の標準的な人かどうかなど分からない。1サンプルである。
ただし今までにあったことのない属性の人、ということもあり、たかだか1サンプルにすぎないが、されど、知り合いにはいるということが大きいのか小さいのか。はかりかねているときも、ある。己のなしたいままで付き合い、会話のネタにすることもある。
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