主体的で対話的で深い学び④

前回までで、主体的で対話的で深い学びという言葉から考えられる、7つの学習の姿について書いていきました。今日は、いよいよ、主体的で対話的で深い学びのある授業とはどのような授業であるのかを明らかにしていきたいと思います

前回までの②~⑧授業の様子をまとめると

②主体的で対話的だけど、浅い学び

深まりきらずに堂々巡り

③主体的であるが対話的でなく深い学び

講演会の学び

④主体的であるが対話的でなく浅い学び

活動そのものが目的となった状態

⑤主体的でなく対話的で深い学び

想像ができない。

⑥主体的でなく対話的で浅い学び

議論をする価値はないが授業の形式上、仕方なくしているといった状態

⑦主体的でなく対話的でないが深い学び

講義形式の授業の一般的な様子

⑧主体的でなく対話的でなく浅い学び

一方的に聞かされるだけのつまらない授業

まず、対極にある⑧の状況は何としても避けなければなりません。かといって、話が面白ければよいかというと、それだけでは③の授業や⑦の授業にはなったとしても、①の授業に行くことはできません。そうなってくるとどうしても、対話的という部分が必要になってきます。とはいえ、対話そのものが目的となってはいけません。そのような授業は対話という活動そのものが目的化してしまい④の授業になってしまいます。つまり、対話というのはあくまでも、深い学びに向かうための手段であると言えそうです。

言い換えればどのような対話を仕組めば授業の目標を達成することができるのかを中心に考えていくことで主体的で対話的で深い学びに資する授業にしていくことができるのではないでしょうか。(こうなってくると対話とは何かということが気になりますね。書いていて気がつきました。それについてはまた今度。)

道徳の授業で言えば、対話の活動を組み込むことができるのはおそらく、一回が限度でしょう。それ以上は対話を深めていくことが難しくなりそうです。加えて対話の呼び水として、中心発問が挙げられます。この中心発問でどのように問うかで対話が促されるかどうかが決まります。

中心発問の要件としては・・

・簡単であること

・多様な答えが出ること

・相反する答えが出てくること

が満たされていればよさそうです。

同時に教諭は議論の流れを把握、整理して、板書によって視覚化してやる必要がありそうです。また、より対話を活発なものにしていく為にはアドリブも必要になってきます。様々な問い返し機転を利かせることも必要です。加えて、魅力的な導入が必須でしょう。それらを実現するためには明確な目標が必要で、ここは、アドリブとは相反するように見える部分ではありますが、目標が明らかになっていなければ、どこを広げ、どこを切り捨てるかをつかむことができません。

主体的で対話的で深い学びがぼやっとですが見えてきました。以上です。

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