道徳科での主体的で対話的で深い学び③
前回の記事では学びの形態のうちの三つについて考えました。今日の記事はその続きになります。
⑦主体的でなく対話的でないが深い学び
主体性はなく、対話もないが学びは深い。中々に創造しにくいかもしれません。これは、所謂、私たちが受けてきた高校の授業や塾の授業と言えるのではないでしょうか。講義形式の授業の一般的な様子と言ってもよいのかもしれません。もちろん、講義形式の授業であっても、主体性を持つかどうかはその人次第なので、興味を持って聞いているのであれば、主体的であるが対話的でなく、深い学びになるのかもしれません。
大学受験が間近に迫っていてそれに向けての学習をしているという感じとも言えそうです。そして、その様にして定着した知識は往々にしてはがれやすいというのも、皆さんの経験からわかるかと思います。
また、深い学びにすることができるかどうかは学習者の能力に大きく依存するということも言えそうです。元々、知識をたくさん持っている人は知識同士の関連性が生まれやすく、理解も深まっていくことが考えられます。逆に初学者や学習の苦手なものにとっては深い理解を作っていくことが難しいのです。
そのような場合、⑧の主体的でなく対話的でなく浅い学びへとなってしまうのではないでしょうか。
⑧主体的でなく対話的でなく浅い学び
一言でいえば、一方的に聞かされるだけのつまらない授業。と言えます。アクティブラーニングという言葉が以前は使われていましたが、これは、大学教育の上のような授業を改善していく指標として言われたもので、今回の学習指導要領改訂の際に、主体的で対話的で深い学びという言葉と対極にある授業の様子であると言えます。今になって考えてみれば、よくこんな授業を一生懸命に聞いていたなと思います。眠くなり、多くの児童生徒が脱落していくのも当然と言えば、当然です。書いていることをただその通りにしゃべるだけ。要点をまとめるわけでもなく、ただ書いてあることをそのまましゃべっていく。どこかの大学の教務課の伝達チュートリアルのようなものですね。「大切なところはここですよ。ここに注意してくださいね。わからなければ、今配った冊子に全て書いてありますからね。」というのであればまだわかるのですが・・・・
以上、7つの学習の様子について書いてきました。ここから、では、主体的で対話的で深い学びのある授業とはどのようなものか考えていきたいと思います。
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