1/365 慶びの謹賀新年
2020年、感情noteを始めます。
心が震えたお芝居や映画や本、訪れた場所といったコト録も続けますが、それらは言わばハレの日。その合間にある「普通」の毎日を、も少し書いてみたいのです。でも、何でも良いってなると、ちょっぴりハードルが高いんです。
感情は毎日動くもの。喜怒哀楽のようにパッキリしたものもあるけれど、その隙間にある色とりどりのあわいも見つめてみる。良くも悪くも、なんかもやっとしたやつ。1日を振り返って、感情がなーんも沸かなかった、なんて日もあるかも知れません。それはそれで興味深い。
写真と140字だけの日もOK。ちゃんと整理できていなくてもOK。毎日書いていたら、何かが変わるかも知れないし、何も変わらないかも知れません。なーんも定かではありません。
でも、やってみたいをやってみる。できることなら、365日。意地っ張りな自分を見据えた上での、やってみようを始めます。
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まずは今日。令和2年の元旦。
朝寝坊して、ブランチ的なお雑煮と少しだけお節の味見をしてから、お詣りへ。
何かに集中するでもなく、ぼんやりしている間に日が暮れた。長閑そのもの。僅かな家事も、母がほぼやってくれた。なんてこったい。本来私がやるべきなんだろうけど、ここまできたら、毒も皿まで!この際全ての家事を丸投げし、今これを書いている。
ここまでの今日の感情を一つ取り上げるなら、このぼおっとした日々への感謝を込めて、「慶び」がいい。
「慶び」を類語辞典で引くと、「定義しにくいが、人々が経験したいと思う根源的な感情。幸福の源を提供する何かか誰か」とある。
定義しにくいが、と辞典がまず前置いているのが、妙に味わい深い。人それぞれでよい、という暖かな手放し感もある。
ちなみに、「喜び」と「慶び」の違いは、相手を祝福する、という思いが「慶び」には入るそうだ。まさに今日のコトバにぴったりだ。
幸せは1人では成立しない。あれこれある家族だけれど、今日は100%家族に感謝で過ごそう。1日くらいは、混じりっけなしの感謝だけで全てを流そうと決めて過ごす日も悪くない。
そんな気持ちも新たに、これにて正月の夜の部へ向かうのである。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。