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【unlearningとは】 来年のチャレンジ項目と、ドドメ色の旅の始まり

オイルヒーター切ったっけ?

久しぶりの羽田空港行き京急電鉄の青物横丁駅を超えたあたりで、ふと気づいた。

家を出るまでの自分の行動を思い返してみる。

朝寒かったので、お湯を沸かして、一杯分のコーヒーを淹れる。その時に、いつものくせで、オイルヒーターを入れた… 気がする。

家を出るときに、コンセントは… パソコンやら、電気ポットやらのコンセントは抜いた気がするけど、オイルヒーターのコンセントは… 抜いた記憶が無い。

オイルヒーターのタイマーは… いつもの設定変えてない。だから、自然にきれるはずだ。

と言うことは… と思い始めた辺りで、空港に着いてしまった。

でも、帰宅するなら、今しかない。飛行機に乗ってしまったら、宿泊を諦めても、帰宅は早くても夜だ。しかもそれは、各種方面にごめんなさいをしなければならないし、楽しみにしていたこともキャンセルすることになる。

仕事では無いから、業務上の迷惑をかけるということはない。でも、私は行きたい。行った先で会える人たちに、今会いたい。

だからこんな状況でも、通常ならGO判断がすぐにできる。

でも敢えて、「ここでUターンして帰宅して、お金出してフライト取り直して、というこれまでやってこなかったハードルを乗り越えてみろ」という神様からのチャレンジ項目なのか?!と謎の方向に引っ張られる思考がある。おおおお、どうしよう。

悩んでいる間にも、足は勝手に手荷物検査を超え、ラウンジに入り、コーヒーを手に入れ、搭乗口へとスムースに動く。時間的余裕など作っていない私の出発に向けての行動は、今までの記憶に基づいて、エスカレーター方式でどんどん予定通りに進んでいく。

気付いたら、機内にいた。そして、ここまで来たら、もう行くしかない。そんな結論に達した瞬間、気絶した。昨晩まで、寝不足が続いていたからだ。

10分ほど気絶しただろうか。目が覚めた時、機体はまだ、滑走路上にあった。「あれ?もう着いた?」とぼんやりと考えていた時に、機内アナウンスが入った。

「前の機体に鳥が接触したため、当機の出発が遅れておりますこと、深くお詫びいたします」

そう、私のフライトはまだ羽田にいた。

と言うことは、まだ間に合う。今、もし私が「どうしても降りなきゃならないんです!降ろしてください!」

と声を上げたら、降ろして下さるんだろうか。これが、親戚の危篤とかだったら降ろしてくれる、かも知れない。だが、オイルヒーターが心配で、という程度でも降ろしてくれるんだろうか。降ろしてくれる判断は、誰が何を基準に下すんだろう。

寝不足は、妄想を加速させる麻薬的効果がある

だが、そうこうしている内に、機体は乗客の期待と共に、走行を開始する。壮行のゴングが鳴る。

… もういい。きっと大丈夫。

謎の開き直りを景気づけるように、私は朝ごはん用に持ち込んだチョコマフィンにかぶりつく。

1時間半のフライト後に到着した先で再会した人々から得た一番の学びは、unlearningについてだった。

「学び直し」と言う訳語が使われている、最近よく耳にするこの言葉だが、unlearningの"un"の部分は、「今までに習得したことや知識、経験を一旦手放す」ことだと分かる。では、その「手放し」が終了した後の「learning」、即ち「学び」の部分については、何をインストールすればいいのか。

思考を変えずに「新たな何か」を学ぶ対象として選んでしまうと、前と同類の知識や経験を入れるだけ。方法もさほど変わらないだろう。それでは、unlearningの意味はない。

そう思っていた矢先に頂いた定義は、

unlearningとは、「イヤな奴、またはライバルがやっていることで、自分が今までそれはずるい、それは絶対にやりたくない、と否定してきたやり方を採用すること」

城ノ石ゆかり

だった。

目から鱗どころか目玉が落ちた

そうか、なるほど。これは確かに、"un"しないとダメだ。今まで通りでは入らない。そして意識的に"learn"しないと、腹落ちもしない。

そのイヤなやり方、否定してきたやり方の背後には、私がずっと禁じ手にしてきた思考がある。そこを敢えて採用して、採用した自分を観察することで、イヤな相手が何故その手法を採用してきたのかが分かる。そこには、何かの肯定があるはずだ。

オイルヒーターのことを忘れた瞬間だった。

旅の2日目に続く。

明日も良い日に。


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