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積ん読の効能
積ん読になっている書籍の中に、とても限定的ではあるけれど、雑誌もある。先日、2年前(ヒドイよね、ああヒドイのよ)の月刊誌「悲劇喜劇」のある一冊を読んだ。その中に、「何葉かの写真」という表現が出てきた。
「葉」という数え方の単位を国語辞典で引くと、「薄く平たいものを数える単位」とある。こトバンクでも同様だった。
でも写真なら、「1枚2枚」でもいいわけだ。それを敢えて、「葉」という言葉が選択されている。大切な写真なのだ、という言外の思いが込められているように感じた。
「薄く平たいもの」なので、絵葉書も「一葉」と数えられる。旅先から友人が絵葉書を一葉、投函してくれる。初秋のある日、イチョウの葉がはらりと落ちてくるように、地続きではあるが、ここではないどこかから、友人のある一日が、ある一定の時を経て、わたしの一日にハラリと舞い込む。他の人の人生が、わたしの人生の一部に、羽根のように紛れ入る。読むのは1分もかからない。でも、その1分には、数日間分の思いの周波数が乗る。
ところで一葉と書いて思い出すのは、歌人の樋口一葉だが、彼女の名前は、単位とは関係ないらしい。Wikipediaによれば、彼女の雅号の由来は、
当時困窮していた事(お足が無い)と一枚の葦の葉の舟に乗って中国へ渡り後に手足を失った達磨の逸話に引っ掛けたものである
らしい。なんてこったい。5千円札を見るたびに、この逸話を思い出すであろう。
日本語の単位から、お札の偉人の豆知識にまで及ぶとは、積ん読の効果も悪くない。2年前にこれを買おうと思った過去のわたしに感謝する。まだまだ残った積ん読にも、何がしかの発見があるに違いないと信じている… だから読むまでは捨てられないのだ!許せ、未来のわたし!!!
写真は、こんな所から絵葉書を出したかったな、という昨年の思い出の地。
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