328/366 【マザコンvsブラコン】 大河ドラマ 「麒麟がくる」 第33話
兄上は美しいのじゃ
神も仏もない信長残虐物語的に描かれることが多い叡山焼き討ちが、個人のコンプレックスに端を発する事件として描かれることが今までにあっただろうか。
一向一揆等、宗教の力を借りた反徒のしぶとさはこれまでに何度も描かれているけれど、そもそもの発端が「家族」という単位になるなんてびっくりだ。
「家族」という、社会を構成する最小限の単位から生み出される歴史のうねりが、本作ではなんと多いことだろう。信長様の「母上に(帰蝶にちゃんに)褒めて欲しかった」に通じるものがある。
どんな大きな事変も、起こしているのが人間であるなら、その理由も人間の根原欲求にある。
わしは美しいものに勝ったのじゃ... 成り上がり者に、夢は見させぬ
圧倒的にお美しい今上帝をキャスティングせねばならぬ道理です。
山頂で女色に走るわ酒は飲むわ、少女は買うわとやりたい放題のブラコン覚恕に対し、信長様の思考はしごく真っ当。
ただただ怒りに任せて山を攻めたてるわけではない。配下の意見に耳を傾け、一時は国へ帰ることも見当する。
尾張のうつけと言われた自分が、3年も上洛を果たした。それだけでも満足だ、だなんて弱音を吐く信長を焚きつけたのは、むしろ十兵衛さんでありました。
それにしても今回の十兵衛さん、目が怖い。最初から最後まで、これまでとは目力が全然違う。いつか麒麟が来る日まで、覚悟を決めて戦場に出ると意を決したのは前々回くらいだったけれど、その決意がいよいよ腹落ちして体現されている。
何日も前から下山するよう警告してある。降りたくば降りられたはず。
信長も、通す道義は通し続けている。ただエキセントリックなだけで何かを押し通したわけではない。それだけの人物に天下布武など成し遂げられるわけがない。気性の激しさはあれども、至極真っ当な人物として描いているのが逆に新鮮。叡山、焼かれても仕方ねーな、と初めて思った気がします。
って、まだ寺も完全燃焼はしていない中、このペースでちゃんと本能寺まで辿り着けるのか。私のような下賤の者には
わーーーかーーーりーーーまーーーせーーーぬーーー ←言いたかっただけ
来週も、良い週に。