435/1000 【お芝居】 薮原検校
メクラだメアキだと2分に1言は繰り返される。
その度に心の何かがギョッとする。
「メクラ」という言葉はただの記号の場合もあるのに。「目が見えない人」の短縮系かも知れないのに。それでも私は怯んでしまう。
そこに引っかかる私に私は問いかける。
この肺を引っ掻く魚の小骨のようなものは何?
人間の差別感情はどこかの何かに組み込まれているもの?
揺らぐ私に、延々と「メクラメクラ」と罵倒のシャワーは降り注ぎ続ける。
年に1回祭があるから、農民は残りの日々を耐え忍ぶことができるのです。
自分よりも下の人がいる。そういう状況を作っておけば、数多の人を御すことができる。
例えばメクラの薮原検校。あの金持ちメクラを処刑すれば、市民は憂さ晴らしができるじゃないか。
そのこと自体も恐ろしいが、それを提案するのが、もう1人の検校であることに、更に胃酸が噴出する。
自由奔放で欲望に導かれるまま突き進んでいく藪原検校を一番嫉妬しているのは、パッと見品行方正で学もある 保己市検校さまの方だ。そしてメクラを一番差別している鬼は、外でもない、自身もメクラなそちらの検校様なのだ。
結局彼の一言で、藪原検校は世にも惨たらしく処刑される。
うううう、悪ってなんだろう。
そもそも善悪の基準なんて、絶対的なように見えて実は相対的だ。時代とともにうつろうものなら、誰にジャッジができようか。
ただきっと言えることは、その時代に「悪」とされた人は、ある種純粋な命の煌めきのようなものを持っている。あれって何だろう。
魂が疲弊している今のような時期に見るのは、劇団☆新感染のような底抜けに明るいお芝居の方が良い気がする。または先日のイエドロの落語のような人情系の落語の噺。(あくまでも個人の見解です)
心の底にどぶ川の汚泥みたいなものがこびりついて、むわむわする。
でもこれは、そもそも私が持っていたドロドロが浮き上がってきただけのことかも知れないのだ。井上やすしの手のひらで、まんまと踊る私がいる。クー。
演者の方々は凄まじかった。
市川猿之助さんはもちろん、川平慈英さんのリズム感も素晴らしい。だが一番グエエと声が出たのは、松雪泰子さんの体当たりっぷり。
あんな美貌であんなことされたらお手上げですわ。でもあの美貌だからこそ、愚かさと同じくらいに強烈な、どうしようもない情の深さがギュルギュル刺さる。
悪を生み出すのは社会の歪み。その歪みを生み出しているのが差別感情ならば、結局悪を生み出しているのは、「私」なのだ。
くくぅ。
明日も良い日に。